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【自己紹介】父の愛した地を、自然を、文化を紡ぐ | 合同会社伊那谷サラウンド 北林 南

こんにちは!
長野県飯田市を中心に活動する北林南(きたばやし・みなみ)と申します。

私は南信州・伊那谷地域を拠点に、グラフィックデザインを通して地域をもっと好きになるお手伝いをする「合同会社伊那谷サラウンド」の代表、グラフィックデザイナー、ディレクターをしています。
主に行政の広報のお手伝いと民間向けの紙媒体の広報物作成のほか、地域の魅力を再発見・再構築するためのワークショップやイベントの支援も行っています。

また、自身のライフワークとなりつつある、地域の文化や芸術、伝統、芸能などワクワクな暮らしを発信するコンテンツ「伊那谷回廊」を企画・運営しています。
父が愛した南信州の魅力や文化を後世に残したいという強い想いから始めた「伊那谷回廊」をきっかけに、地域のたくさん方との縁に恵まれ、今はお仕事でも地域の様々な情報発信のお手伝いに関わらせていただいています。

ここでは、私がなぜ南信州の魅力を発信したいと思ったのか、未来への想いについてお話しします。よろしければ、ぜひお付き合いくださいませ。


夭折した父との原体験と使命感

私は一度、生まれ育った南信州の地を出て上京しました。5年ほど滞在した後、地元南信州に帰郷。現在に至ります。

南信州の魅力を発信していきたいという想いの背景には、幼少期の思い出があります。

そんな私の想いについて、少しだけお話させてください。


■ 父の見たかった景色を求めて

私がライフワークとなりつつある「伊那谷回廊」の活動に積極的になった理由は、経営者だった父の姿勢があります。

父は大学時代とその後の数年間(1970年代)は、前衛舞踏家としても活動し、飯田市に帰郷後は地域の行事やイベントの企画や運営に携わり、経営者としても一住民としても地域を盛り上げていました。

前衛舞踏家・松沢洋介として
俳優・麿赤兒主宰の大駱駝館に所属


端にいるメガネをかけた男性が亡父・松澤洋一
地域の活動に積極的な熱い人でした


しかし、42歳という若さで病気で他界。私が高校1年の時で、今から四半世紀前のことです。

私の勝手な想像ですが、父にはまだまだやりたいことがたくさんあったはずで、そんな父の存在が、今の活動に深く関係しているのではないかと感じています。

一方の私は、幼少期から絵画や作曲などの芸術分野に興味があり高校卒業後音楽を学ぶため上京しましたが、精神疾患を患い22歳で生まれ育った飯田市に帰郷。

その後たまたま体験した天竜川のラフティング体験で、大きな自然の力に癒されエネルギーをもらい、徐々に回復し、その後ラフティングガイドとして週末アルバイトをしながら、地元企業に就職しました。

休日は地元天竜川のラフティングガイドとして12年活動


デザインに触れたのはその後、上司の勧めで勉強したことが最初で、28歳の時でした。徐々にデザインに夢中になっていったこと、会社勤めに向いていない気質だったことが関係し、半ば勢いで独立しました。

「独立したい」というより「これでダメなら何やっても通用しない」という考えの元での独立でしたが、好きなことを仕事にできている満足感、少しずつ地元地域に貢献している実感が湧いてきたのです。

背水の陣で臨んだ独立が、結果的には私のやりたいことにつながったように思います。


■ 一度は離れ、大好きになった南信州の魅力・文化

南信州は、他地域から来る人を魅了する要素がたくさん詰まった場所。
ラフティングガイドの仕事をしていると、夏休み期間は多くの観光客のみなさんが来ていましたが、実はそのお客様たちが私に、それぞれ南信州の自然や文化などの魅力を伝えてくれていたのです。

今まで感じたことのなかった視点から南信州の魅力を知った私は、なんだかとても嬉しくなりました。

そんな中、幼少期の父とともに見た景色が鮮明に思い出されてきたのです。
父は仲間達と共に地域を盛り上げる活動をしていましたが、その中のひとつ。収穫後のとあるキビ畑で、ジャズのコンサートを何年かに渡って開催していました。南信州の大自然を感じられる場所で、一流の生演奏を各々のスタイルで楽しむかっこいい大人たち。子供だった私にとってはまだ手が届かない素敵な光景に、幼いながらも魅了されていました。

ステージ上の女性ヴォーカリストの背後で、中央アルプスに夕日が沈んでいく壮大な風景は、今でも鮮明に覚えています。


このような原体験を起点として、私は父の見たかった景色を探ってみようと、父と同じようにジャズの野外コンサートを開催したり、様々なライフスタイルを送る人たちの話を聞く中で、南信州の文化に興味を持ち、伝えていきたいと行動するようになりました。

自主開催の「伊那谷サラウンドJAZZ in ごんべえ邑」は2014年、2015年に開催
クライマックスには、父とともに見た夕焼けを思い出す、美しい景色が広がっていました

南信州は、文化、芸術、伝統、芸能が、暮らしと共存する魅力的な温かい地域。地歌舞伎を継承する保存会や人形浄瑠璃(人形座)がこれだけ多く残っているのも大きな魅力のひとつです。私も自身の仕事を通じてこれらの素晴らしさを知ってもらえたらと、願っています。


■ ただの制作者ではなく発信者として

私はデザインの仕事にやりがいを感じています。
お客様のことを考えてイメージを見える化し、カタチにする。
それを見たお客様が感動してやる気に満ち溢れてくれるのが、何よりのやりがいを感じるとともに同じ熱量を持ったライターさんやカメラマンさんと仕事ができるワクワク感もあります。
チームで作っていくのは、非常に楽しいものです。

ですが、私はいち制作者として終わるだけではない人生にしたいと思っています。

今の仕事のように、地域の事業者や行政、同じように制作に携わるクリエイターと一緒に地域の魅力を発信していきたいと思いながら日々過ごす中、少しずつですが、その姿に近づいている今があります。

地元の魅力を発信して、南信州だけではなく全国の方々に、その魅力を知ってもらいたい。
地域の方、南信州に訪れた方たちと共に、暮らしの豊かさを創っていきたい。
そう強く思っています。


私が思い描く将来

この魅力がたっぷり詰まった南信州、伊那谷に対して、私は「こんな姿になってほしい」という想いがあります。

私が今の仕事を通じて実現したい将来、そして個人的に実現したいことをお話します。

■ 南信州の文化を全国へ

実はここ飯田市は、2027年に開業予定のリニア中央新幹線の停車駅「長野県駅」の建設予定地となっています。実現すれば、今まで東京から4時間かかっていた移動時間が1時間に。

そんな時に、私たち発信に関係している人や文化に関わっている人たちだけではなく、そこに暮らしている人みんなが町のことを語れるようになってほしいと思っています。そのためには取材・制作を通じて、素晴らしい信念や想いを持っている人の熱量を伝え、伝染させていくことが重要です。

地元の人に向けて発信することで、今の暮らしの中に感動と感謝、ワクワクを感じられるような地域にしたいと考えています。その中から、新たな文化の担い手が出てくれれば、私たちが熱量を伝えた甲斐があるでしょう。
これが制作者としての夢です。


■ 夢は文化施設を作ること

実は制作者として以外にも、もう一つ夢があります。

それは、上質な南信州の文化に触れてもらえるような環境を作ること。
地域の文化、芸術、伝統、芸能が五感で楽しめるような施設を作りたい!という野望を密かに抱いています。


最後に

今は仕事もプライベートも境目なく過ごす日々ですが、このような活動は私にとっての自己表現であり、自分を知る終わりのない旅であり、同時に豊かな喜怒哀楽と感情・感動、幸福感を生み出し共有するもの、身近なものの魅力や価値に気が付く場所なのだと思っています。

本当の部分は永遠に知ることのできない父の思いを持って、私はこれからも活動を続けていきます。

南信州の魅力が、あなたにも届きますように。

【 北林 南 | プロフィール 】
長野県飯田市出身。松川町在住。合同会社伊那谷サラウンド・代表/グラフィックデザイナー。民間企業や自治体の広報ディレクション・デザイン制作を行い、自社発行フリーマガジン「伊那谷回廊」では、企画・編集・取材・執筆・デザインまですべて行う。好奇心旺盛な1児の母。

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