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くだらない理由で読書を始めた


昔から読書に苦手意識はなかったし、国語の授業も割と好き。
模試なんかで時間があまったら、じっくり小説と評論文を読むことを褒美としていたくらい。

でも、とてつもなくケチな私は、本を買うことが嫌い。とてつもなくめんどくさがりな私は、図書館に行くことも嫌い。
そもそも自分に与えられた自由な時間を読書に当てたいとは思えなかった。

以前の私は、読書に対して『何かを学ぶもの、物語を知るもの』としか思っていなくて、『学ぶのは今時YouTubeとかで十分だし、物語は映像ありきの方が面白い。』と、本気で思っていた。

この通り、私が読書をする理由はなかった。

そんな私が読書を始めた理由は、本当にくだらないし馬鹿みたいな理由。


それは親友に対する劣等感。

彼女は昔から優秀だった。偏差値的にも人間的にも。
そんな彼女にとっての1番の理解者は自分だと勝手に自負していた。学力は劣ったとしても、少なくとも人間性の面では。


でも、大学3年生の夏頃、
まず、彼女の悩みが理解できなくなった。
でもそれは私が経験したことのない悩みだったからで、仕方がないこと。

けれど、次に彼女の言動が理解できなくなった。
彼女が悩んだ末に出した結論は世論だとか、正義だとかとは程遠いもので、私はそれに戸惑うことしかできなかった。

そこからは芋づる式に彼女に対する”わからない”が出てきて、彼女の魅力を一番知っているなんて思っていたのに、気がついたら彼女が周りの人達(同じ大学の人)から厚い支持を受け、愛されてる理由すらわからなくなった。

彼女の周りの人達は世間的に言って質がいい。
そして、それがただ偏差値が高いだとか、容姿がすぐれているとかそれだけの事ではないことは私もわかってる。
彼女の周辺の人たちの言動はその場の思いつきや感情からくるそれではなく、思考を重ねてあらゆる方面から物事を見ている。

だからこそ、私が彼女のことがわからないのは
『私自身が浅はかだからだ』と感じた。


彼女の悩みに対して、深い思考を巡らせて議論をすることもなく、ただただ大正論でぶっ叩くことしかできない自分がどうしようもなく情けなく感じた。

彼女に対する劣等感に気づいた時には、『彼女に会いたくない。自分の発言が幼稚だと思われて、幻滅されるのが怖い。今彼女の周囲にいるような人達と比べられるのが怖い。』そこまで思うようになっていた。

このままだと私は大切な親友も、自分自身に対する尊厳も失うかもしれない。そんなのは嫌だ。

それで、冒頭に戻ります。
『彼女への劣等感を感じて、それを払拭するために読書を始めた』
なんだその結論はと、書いていて改めて思いますね、、

なんだかその当時の私(大学3年)にとっては、彼女が崇拝している作者さんの作品をとりあえず読むことが、彼女の思考に追いつく近道だと思ったんです。

実際、彼女の思考がその方からの影響を色濃く受けているから、強ち間違いではないんだろうけど、、、

そんなくだらない理由で初めた読書ですが、
その後まあハマって。

本を読むようになってから得たことは本当にいろいろあると思っている。

まず、思考が寛大になったこと。
元々、頑固で身近な人にほど意見を言われることが苦手で、なかなか人の意見を受け入れることができなかった。
けれど、本という媒体を挟んで、私のことを認識していない誰かに意見を言われるとそれもすんなり受け入れられる。
自分の中に取り込むことを拒否してたような思考がするする入ってくる。それに対して一つも抵抗がない自分を感じられて嬉しかった。

あとは、単純に自分の趣味が一つ増えたこと。アイドルの推し活(それも完全な茶の間)くらいしか好きなことがなかった私にとって、人との会話の中で堂々と話すことができて、尚且つ自分のアイデンティティも表現することができる趣味の獲得は本当に大きかった。


でも、『この作者さんが好き』って言い切れるような、『私のアイデンティティを全て託したい!!(おこがましいにもほどがある)』と思えるような作家さん達には正直まだ巡り会えていなくて、、、、。

理解力、思考力、想像力それに読書量がまだまだ足りていないのだなと実感します。

こんなくだらなすぎる理由で読書を始めるのなんて本当に私くらいじゃないかと思うけど、きっかけなんてなんでもよかった気もする。

彼女への劣等感が消える日よ、早く来い。


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