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映画『私をくいとめて』を観たら主演の「のん」が素晴らしかった

前回「俳優・大泉洋」の面白さについてスケッチするような文章を書いたとき、役者とは何かについて思いをめぐらせた。そのあと映画『私をくいとめて』を観たら、主演していた「のん」の演技が素晴らしくて、役者や演技についてさらに考えてみたいと思った。

そもそも役者にとっていちばん難しい演技とは何だろうか、と考えてみた。それは「飛ぶ」ことだと思う。もちろん映画ではVFXを使ってワイヤーを消して背景を合成すれば、誰でも自由に宙を舞うことができる。でもそれは映像テクニックで「飛ぶシーン」を作り込んでいるにすぎない。

しかし優れた役者は観客の想像力をかきたて、飛んでみせることもできる。映像を作り込むのとは違って、演劇などの舞台でも演技力で飛んでいるように想像させることができるのだ。だから想像というワイヤーが外れると、役者の身体は地面に叩きつけられてしまう。監督や演出家が役者に「もっと想像を働かせて!」と助言するのは、役者の生命線が想像力だからだと思う。そこには、翼をもたない人としての自分と、想像力を駆使して飛べる自分がいる。

それを別の言葉で言うと、生身の人間としての自分と、想像で役を演じ尽くそうとするもうひとりの自分だ。そんな、ふたりの自分のあいだを往復しながら役者は観客を魅了し、想像力をかきたて、観客と共に役を創造しているのだ。のんが『私をくいとめて』で主人公を演じているのを見てそんなことを思った。だから脳内の相談相手を呼び出して会話するという、ふつうならキワモノっぽくなりそうな設定もぴたりとはまっていて楽しめた。

役者は想像で役を創造する。能年玲奈が「のん」に改名したとき「女優・創作あーちすと」という肩書きを自らつけた。それは演じる想像力と創作することが、彼女のなかで分け隔てなく存在していたからではないだろうか。そこに「のん」の面白さと魅力の秘密があるように思えてくる。

アイデアで答えを出すときにも想像力が必要

私は「正解のない問い」にアイデアで答えを出すワークショップでファシリテーターをしている。
そのとき大切なのは「問い」を正確にとらえるフェーズで、ここでも想像が生命線になる。

想像力はアイデアを出すときに使うと思われがちだが、そうではない。向き合う対象や相手について、どこまで深く想像できたかよってアウトプットの質が変わるのだ。当たり前の解釈からは誰もが思いつくアイデアしか出てこない。

さらにアイデア発想のワークでは、アイデアをできるだけたくさん生み出す必要がある。似たようなアイデアばかり数だけ出しても、それはアイデアを考えたことにはならない。そうならないためには、問いの背景や原因をできるだけ多面的にとらえて、複数の新しい切り口をみつけなければならない。

ワークショップで必要な想像力と役者に求められる想像力とでは、訓練の仕方も使い方も違うけれど、それによって表現のスケールや説得力が違ってくるという点は似ているように思う。

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