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俳優・大泉洋の面白さについて考える

前回は「夏みかん」の面白さをスケッチするような文章を書いたけれど、今回は人物をスケッチしてみようと思う。とりあげる題材は大泉洋。好きな役者のひとりだ。

映画やテレビで見る大泉洋の面白さは、ぼやいているのに声が通ってつややかだったり、ふてくされているのに台詞にはキレがあったりするところだと思っている。

たとえば大泉洋が主演した、女の駆け込み寺が舞台の映画『駆込み女と駆出し男』では、江戸時代、戯作者を目指す見習い医師という飄々とした役を演じている。ここでも樹木希林との掛け合いで、ぼやいているときほど冴えているのが面白かった。そうかと思えば悪党を相手に口八丁手八丁で立ち回りを演じてみせたりもする。これを見たとき大泉洋の戯(いたずら)っぽい、とぼけた味わいは、役にのめり込んで計算し尽くされたものではなく、役柄からはみ出しそうになるナイーブな部分を隠そうする照れから来ているのではないかと思った。

そのせいだろうか、俳優・大泉洋の魅力は演じる役どころが嘘っぽい方が映えるのだ。左遷された会社員(『ノーサイド・ゲーム』)やファミレスの店長(『恋は雨上がりのように』)のような中年男の役も良かったけれど、むしろ時代劇や喜劇など作り話のなかで、少しクセのある役を演じるときの方が段違いに面白い。

本気で役にのめり込もうとすればするほど照れが先に立つから、ぼやいてみせたり、戯れ言で隠そうとする。そうした演者としての屈折した熱量がストレートに伝わってくるところが大泉洋の面白さであり、見ているこちらが惹き込まれてしまう魅力なのだと思っている。

ファシリテーターとして問いを正確にとらえる

私は日頃、デザインを扱うワークショップでファシリテーターをやっていて、日々「正解のない問い」にアイデアで答えを出す営みと向き合っている。そのとき大切なのは「問い」を正確にとらえるフェーズなのだが、簡単そうでいてなかなか難しい。

たとえば大泉洋について「ぼやきが見事に芸になっている」というのは誰でも言いそうなことだ。言葉が上滑りしているし、上から目線なところも気になってしまう。自分が向き合う相手や対象について月並みな言葉を並べて表現したり、ありふれたデータを集めて語っても、そこからはごく当たり前のアイデアしか出てこない。問いを正確にとらえるというのは、相手が矛盾を抱えているならその矛盾を、対象とのあいだにギャップを感じるならその距離そのものを正確にとらえるという意味なのだ。

自分が興味ある対象をみつけたら、本当の面白さはどこにあるのかについてあれこれと妄想を駆使しながら、できるだけ"正確に"スケッチする練習をしていると、ワークショップで問いと向き合うときに意外と役に立つ。

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