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ソーシャルメディアから距離を置いてみて(Social Media Distancing... )

はじめに。
僕個人はソーシャルメディアを全て否定するつもりはない。
むしろソーシャルメディアがあることで様々な意味で豊かさも得られると思っている。
ただ、享受できる豊かさ以上の弊害がいまは多すぎると考えている。

意識的に Social Media Distancing に取り組み始めてわかったことがある。
ソーシャルメディアから距離を置くのは、ソーシャルディスタンスと同様に、外出した時にできる限り人との距離をはかり、Covid-19をもらわないようにする / 与えないようにすることと同様に難しい。
特に通勤せずテレワークで業務を(ありがたいことに)おこなえる状況にあり、家族以外の他者と物理的に接する機会が激減すると、知人を含めて他者がいま何を考え、何をしているのかが気になってくる。
気づくとソーシャルメディアを覗いている。

Social Meida Distancing で寛容性が育まれる

最初の投稿で書いたけれど、ソーシャルメディアはまさにジャンクフードだ。
ということで、覗くこと、時には投稿することもあるのだけれど、Social Media Distancing は意識することが大事らしい。
以前のように、心が乱されることは減ってきた。
以前であれば、
「なんでいま嬉しそうに旅行いってること自慢してんねん。」
「東京ナンバーの車が増えてる〜!どないなってんねん。」
「何をのんきに犬なでて、茶のんで、本よんで、TVみて!嫁はんどこおんねん!あ、またどっかのカルト仲間と旅行で不在かぁ。」
脊髄反射して、いちいちイライラして、怒りを覚えていたと思う。
今は、そのトーンがさがり、
「なんでいま旅行いってるん。気をつけな危ないで。」
「東京ナンバーの車増えてるな。公園いっても遊具とか手すり触らないようにしないとな。」
「エンタメの政治利用は醜悪やな。これまで支持してた人たちは信用しないようにしとこう。」
と、投稿内容自体と直接対峙するのではなく、ちょっと冷静に・俯瞰して物事を捉えるようになってきている
以前ならWチーズバーガーとてりやきバーガーを頼み、後悔していたところを、どちらかのMセット1つで我慢できるようになってきた。

Social Media Distancing で家庭不和が未然に回避される

他にも大きく変化したことがある。
身内に対しても脊髄反射でイライラする回数が減ってきている
家族が文字通り一つ屋根の下でこれだけ長期間、長時間に渡り共に過ごしたことはかつてなかったことなので、些細な衝突、つまらないイザコザが増えることを危惧していた。
もちろん皆無、ということではないけれど、それでも以前に比べ寛容になり、ポジティブな時間が増えているように思う。
家族が僕の存在をうとましく思い、我慢している可能性は... ゼロではないけど、今のところ表面化しない程度にUnder Control できているようだ。

Social Media Distancing で可処分時間が増える

そしてここが肝心なところなのだけれど、Social Media Distancing で距離を置くことを意識しているからといって、それは世の中で起こっていることに対して興味を失っている、ということではないということ。
むしろ今まで以上に政治・経済に対して注意を向けることが増えている。
これは時節柄、ということも多分に影響しているけれど、ソーシャルメディアへの参戦を控えることで可処分時間の使い方に変化があらわれた。

自分自身で考える時間
気になることを調べる時間
本やニュース記事をじっくり読む時間
海外のニュース系ポッドキャストを聞く時間

これらの時間が増えた。

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Social Media Virus への免疫力がつく

スピード感が求められる世の中で、あらゆる情報がウィルスと同様にあふれている。
それは気づかないうちにあっちから勝手にやってきて、知らないうちに自分の心の中に付着している。
そこから距離を置くことで、自己防衛能力・免疫力がつきつつあるように思う。
ソーシャルメディアへの依存度に自覚がある人には距離を置くことをぜひオススメしたい。




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