ウルルとアボリジニ #01 アリススプリングス編
(2017-11)
子供の頃、時が経つのも忘れるほど没頭した小説がありました。
すっかり日も暮れた2階の小部屋で1人、電気もつけず、微動だにせず、物語の世界から全く戻ってこようとしない私。それを見兼ねた母は「やけん晩ごはん」と一言、部屋の電気だけを点けて、また階段を下っていきます。
私が夢中になったのは朔太郎とアキの純愛物語。
しかしまだ愛も恋も分からぬ私が思いを馳せていたのは、オーストラリアにあるというアボリジニの聖地の方でした。世界にはアボリジニと呼ばれる人達がいるんだと、いつか私もこの美しい場所に行ってみたいと、まだ見ぬこの地に夢を膨らませていたのです。
それが叶ったのは、それからしばらく経ってからのこと。
大学生になった私は、同期より1年間卒業を遅らせてオーストラリアの都市メルボルンでの生活を始めました。そこで初めて、あのエアーズロックが現地のアボリジニの言葉で「ウルル」と呼ばれていることを知ります。
この1年のうちに必ず夢を叶えようと、夏、ウルルへ向かう決意をしました。
事前に申し込んだ現地ツアーに参加するため、ウルルに最も近い街だと言われるノーザンテリトリー州アリススプリングスに前泊します。(近いと言っても東京・大阪間ほどの距離があります。オーストラリアの領土は広大です)
メルボルンから一度アデレードで飛行機を乗り継ぎ、半日かけて到着したこの街は、オーストラリア中央部のレッドセンターと呼ばれる砂漠地帯の主要都市。砂漠の中に突如現れる小さな街ですが、シドニーやメルボルンといった湾岸の大都市とはまるで違う、オーストラリア"ど真ん中"の景色に出会うことができます。
見渡す限りの真っ赤な大地と青い空、そして荒涼とした緑、ついに私はやって来たのです。
宿泊先に荷物を預け、さっそく街を散策します。
気温約35℃。照りつける日差しは容赦なく、とにかく乾燥しています。
その乾燥は、この街を南北に流れるトッド川がすっかり干上がってしまうほど。年間の95%は流水量が0もしくは非常に低い値であるというこの川には、当時一滴の水も見受けられませんでした。
砂漠初心者の私にとっては、目の前に突然現れたこの広場(あるいは大通り)がまさか川であるとは思いもよらず、地図上の目印にしていたそれを探し続けてしまいます。
しばらく経って、今まさに自分が立っているこの場所がトッド川の真上であることに気づいたときは、安堵や滑稽さのほかに、これまでの固定概念が覆されたような新鮮な感覚を抱いたのでした。
その道端では、これまで出会ったことのない様々な野鳥を見かけることができます。
珍しい鳥はその鳴き声も独特。じっと彼らを観察しているうちに、ついその不細工な鳴き声につられてこちらまで笑えてきてしまうのです。
また街じゅうの建物に目を向けると、その柱や壁にはアボリジナルアートが至る所に施されていました。数多くのドットや曲線で描かれるその鮮やかな色彩は、赤い土や青空によく映え、思わず目を奪われます。
一見何もない小さな街ですが、自然、生き物、街並み、アート、どこを切り取っても絵になる美しさです。
少しでも高い位置からこの街を眺めたいと思い立ち、同じ部屋に宿泊予定のイギリス人女性に勧められたANZAC HILLという丘へ向かいました。
ANZACというのはAustralia and New Zealand Army Corps.の略で、第一次世界大戦のガリポリの戦いで活躍したオーストリア・ニュージーランド軍のことを指します。両国をはじめとするオセアニア地域の諸国では毎年4月25日をANZAC Day(祝日)とし、パレードやポピーの花、当時の食糧だったビスケットなどを用いて追悼と平和を祈念します。
こういった記念碑や資料館はこの国には各所に存在しているものの、アリススプリングスのような砂漠のど真ん中にもそびえ立っているとは何とも驚き。この街にはあまり似合わない、しかし驚くほど映える、その真っ白な塔を前に、ここでもまたオーストラリアの歴史やその魅力を肌で感じることができました。
その上、この簡単な登山の末に出会える丘からの景色は絶景そのもの。限られた時間の中でしたが、この素敵な街を一望できる場所に足を運んで良かったと、その景色を目に焼き付けます。
ところで、街で出会う人の多くは私のような世界中からの旅行者ですが、同じくらい現地のアボリジニの方々も見かけました。
私自身、少数民族と言われる方々がマジョリティを占める街に足を踏み入れた経験はほとんどなく、あるとするとニュージーランドでマオリの方々と出会った程度。アボリジニもスーパーで買い物をしているんだと、ついつまらない考えが頭をよぎります。
その近くにある街のメインストリート、トッドモールには、ジャカランダという花の美しい並木がありました。これはオーストラリアに春の訪れを告げる、日本でいう桜のような花。控えめな青紫色が広く親しまれており、この日も木陰で多くの人がお花見をしていました。
この旅行に来る直前、知人にアリススプリングスのジャカランダについて聞いていた私は、念願の花々を前に思わずカメラを向けます。
その時です。
「NO PICTURE !!」と少し先から怒号に似た声が聞こえて来ました。私がカメラを向けた先、木陰で自作の絵画を広げて道行く人に販売していたアボリジニの女性達が、写真を撮られたことに対して怒りをあらわにしているのです。
アリススプリングスはオーストラリアの中では治安が良くない街であるとも聞きますが(政府がアボリジニに対して手厚い公的扶助をしているため、仕事をせずに酒やドラッグ漬けになる人が多く集まっているとのこと)、
当時の私は子供の頃から憧れていた方々の怒りを思わぬところで買ってしまったことに対し、この上ない申し訳なさを感じ、様々な考えを巡らせていました。
あの時、私はただ素直に、
この目の前の景色を美しいと思いました。
夢に見たこの赤土と青空を美しいと思いました。
そこに映える花を美しいと思いました。
その花に人が集まる文化を美しいと思いました。
そのアボリジニと日常を美しいと思いました。
そう、恐らくここです。
もしかすると私はあの時、自分とは異なる風貌で異なる日常を送る民族の方々に対して、"一方的な美しさ"を見出し、それらをあたかも他のアート作品などと同じように自らの手に"記録"あるいは"保持"しようとしていたのかもしれません。
当時の私に彼女達への憎悪の感情や笑い者にしたい意図が無かったことは言うまでもありませんが、人種や文化の違いに意識を向けたこの短絡的かつ一方的な行動によって、彼女達を不快な思いにさせてしまったことは事実です。
ともすれば、もしやこれが私たちが無意識にしてしまう人種差別の正体なのでしょうか。
一方で、体型や生活スタイルの違いはどこの文化圏にもあるもので、日本の田舎で美しい桜やお花見の様子を撮影するのとどこが違うのかという論点もあるかもしれません。本当に差別意識がないのなら、、という話も出てくるでしょう。
しかしここで私が言えることは1つ、少なくとも当時の私にだって彼女達を本当の意味で理解しようとする努力はできました。初めて出会う方々だからといって闇雲に恐れず、もう一歩前に出て、アイコンタクトや会話をしてみる努力はできました。そこから見えてくる世界や出会いの可能性を、私は蔑ろにしてしまいまっていました。
また考えすぎだと笑われるかもしれませんが、それでも私にとっては大切なことです。ここでの経験や学び、そして悔しさを忘れず、また少しずつ成長していきたいと誓います。
余談ですが、こういった人種問題についての学びや発見は、この前月にニュージーランド・オークランドで出会ったマオリの方々からも沢山頂きました。私の世界がまた広がる良い経験でしたので、またの機会に丁寧に記録していければと思います。
さて、夜。
この街を目一杯楽しんだ私は、ついに明日から始まるウルルへの旅に胸を膨らませてバックパックを抱き、ベッドの2階で眠りにつきます。
わずか半日のアリススプリングスでしたが、目にした景色1つ1つが美しく、記憶に残る滞在となりました。
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