男女の友情成り立つ派は責められがちなお話。

いきなりなんの宣言だという話になるが、
私は男女の友情は成り立つ派である。

ここ最近よく会う友達は、男女の友情は成り立たない派なので、
いつも理解ができないと苦しんでいる。
(理解しようとしてくれるの本当にすごい。ありがとう。)

男女の友情で言うと、
成り立つ派が圧倒的に不利だと思う。
不利というと違うかもしれないが、ここではあえて不利だと表現する。
(よく質問攻めにされるので、対決のようになってしまう…)

男女の友情が成り立たない派は「どんな男女間でも友情は成り立つ」前提で話を進めてくる。
それは違うと、私は思う。
なぜなら、同性同士でも友情が成り立たない場合はよくあることだ。
にもかかわらず「男女」の友情の話になると、
全て成り立つこと前提で解釈されるのである。

なぜなのかわからないし、困った話だとも思うが、
それはそれで面白いので、まぁ良い。

それに対し、男女の友情成り立つ派の私は、
男女の友情については、
成り立たないこともあるし、
成り立つこともあるという前提なのだ。

まず前提が違うのである。

まぁ、そもそも「男女」で考える/考えないも人によってさまざまだし、
成り立つ成り立たないも自由だ。
なんでも自由なわけだが、
なぜだか、男女の友情成り立つ派は、
「本当?」「理解できない」「それは絶対どっちかが好きだよ」
と責められがちになるのである。

男女の友情がどうかというよりは、
人はそこに恋心があるかないかが話として面白いと感じやすいのかもしれない。

なんにせよ、私は胸をはって親友だと思える異性の友人がいる。
あ、ここで勘違いしてほしくないのは、
特に異性の友人にパートナーがいるときは2人で会ったりなどはしない。
これは、そこに恋心があるとかではなく、
ただ、相手のパートナーへの配慮だ。

友人の大切な人まで大切にできるか、
それが私の中の友人としての基準なのかもしれない、と今思った。

また1つ自分の気持ちに気づけて良かった。

おやすみなさい。

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