見出し画像

HSPの私と父のガン宣告

少し前、父がガンだとわかった。

一昨年から疑いはあったものの、ついに。 もしかしたら…と思っていたけど、実際突き付けられるとショックだった。

それに加えて、

『きっと父は落ち込んでいるんだろうなぁ』
『母は気丈に振る舞ってるけど心配!』
『しばらく実家で過ごそうか……』

などと、父や母の気持ちを考えてしまう。

HSPの私は気持ちを切り替えるのが苦手だ。

父がガンだとわかってから、昔のことばかり思い出してる。

父がティアドロップのサングラスをかけているのが怖くてイヤだった。男友達が「西部警察みたいでカッコいい!」と言ってくれたのでホッとしたこと。

当時の平均身長より高かったのか、「お父さん、背が高くていいね」と女友達に言われたこと。
(決して、カッコいい訳じゃないけど、私にはカッコいい父だった)。

夜勤明けの父が寝ずに海水浴へ連れてってくれて、海で熟睡して火傷のように日焼けしたこと。

一番印象的だったのは父がバツイチだったこと。


高校入学前に母から打ち明けられた。前妻との間には子どもはいない。性格の不一致で離婚したんだという。

「あなたたちのことを一番大切に思ってるのよ。だから、お父さんの過去をわかってあげてね」

母が父の私への愛情を伝えてくれた。

その時は物分かりが良い娘を演じて

「離婚なんて、いまじゃ当たり前だから!」

と、言って部屋に行き泣いた。
泣いているのがバレないように泣いた。泣いてるのがバレたら、悲しませることになる。そんなことはしたくない。あくまでもクールに決めたかった。
離婚は仕方のないこと。でも、父が母や私たち以外の人と家族だったことが寂しかった。父のことが大好きだったからだ。

そんな父のことをキライになった時期があった。それは私が結婚して間もない頃だった。父が「家事をしない」「着替えをもたずお風呂に入る」「言葉数が少なく態度に出る」など。夫と比べてしまった。父の良い所を無視して、悪い所ばかりに目がいってしまった。

その頃の私は「なんでお父さん○○しないの?」と、頻繁に言っていた。食ってかかる娘に父は苦笑いだった。

娘が中学生の頃だった。

「じぃじのこと尊敬する!」

と、言いだした。生真面目な性格や寡黙だけど愛情を注いでくれるところが大好きだと言った。

初孫の娘を溺愛していた父は孫娘に甘かった。息子が生まれたときは待望の男の子に大喜びした。2人のことは叱ったことがない。だから、孫娘と孫息子は祖父のことが大好きだ。

2人が祖父への想いを素直に話しているのを聞いているうちに、大好きだった父への想いが蘇ってきた。私だけじゃなく、子どもたちに父の魅力がわかって良かった。その後は短所じゃなく、父の長所を見られるようになった。

懐かしい、ほろ苦い思い出。まだまだたくさんの思い出はあるけど、これからももっとたくさん思い出を作ろうと思う。父が逝くその日まで。

こんな風に書くと、余命宣告されているのでは?と思ってしまうかもしれない。決してそんなことはない。ただ、元気だった父がガン宣告されたことがショックだった。

HPSでお豆腐メンタルなわたしは気持ちを切り替えるのが得意じゃない。でも、ずっと父のことばかり考えると気が滅入ってしまう。

ツラくなって、自分の気持ちを吐き出したいと思った。現実は変わらないけど、落ち込むより笑顔でいたいから。吐き出したら少しだけ気持ちが落ち着いたので、抱え込まずネガティブな気持ちは手放していこうと思う。

▼メンタル弱めママの子育て本、出版しました!▼


最後まで読んでいただき、ありがとうございます! よろしければ「スキ♡」やSNSでシェアしていただけると、とても嬉しいです♪ いただいたサポートは、今後のnoteに活かすために使いたいと思います。