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どうしてカウンセリングを受けるのか?

 家族の問題を抱えるようになって、1年以上カウンセリングを受け続けている。2週間に1度、ベテランの女性カウンセラーと話をすることは、私を穏やかに支え、そして大きな決断をして前進することを後押ししてくれる。

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 そもそもカウンセリングを受けるようになったきっかけは夫の主治医の勧めだった。
 夫が家庭内に大嵐を起こしながらアルコール依存症で入院し、私はこれからの生活に対する不安感や恐怖心と「何とかしてこの困難を超えてやる」という異様な高ぶりを行き来しながら、熱に浮かされたような気持ちで過ごしていた。平静でない(そしてそのことに自分自身で気付けていない)私に、医師は「家族が自身のためのケアをすること」の重要性を説き、家族向けの自助グループとカウンセリングを紹介してくれた。

 夫が退院してくるのは3か月後の予定だった。それまでに不安感と恐怖心を解消して、何とか生活を立て直したい。藁にもすがる思いで病院から紹介を受けたカウンセリングルームのドアを叩いた。

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 カウンセリングルームは賑やかな街から少し離れた場所のビルの一室にあり、狭い廊下に待合用のベンチが置かれていた。そこに自分と同年代ぐらいの落ち着いた雰囲気の男性が座って順番を待っているのを見て不思議に安堵した。私はカウンセリングを受けることにどこかで抵抗があったのかもしれない。カウンセリングは重い問題を抱えた特別な人のためにあるのだと無意識の偏見を持っていたのかもしれない。ベンチは狭く窮屈だったが、そこは明るく清潔で、静かな場所だった。何も特別なことはなく、怖いこともない。肩に入りすぎていた力がふっと楽になった。 

 名前を呼ばれて、担当カウンセラーの女性と共に小さな部屋に入る。部屋の中には机と椅子が二脚あり、机の上には小さな時計とボックスティッシュが置かれている。簡素でシンプルな部屋だ。私は努めて冷静にこれまでの経緯を話し、彼女は丁寧にメモを取りながらそれを聞いた。話が終わって一呼吸おいたところで、彼女は言った。

「今まで一人でよく頑張りましたね。とても辛かったことと思います」

ずっと共感されることに飢えていたのだろう。この言葉にぼろぼろと涙がこぼれた。初対面の人の前で涙を流している自分が信じられなかった。
 このためにティッシュが置いてあるのか、と私は妙に納得しながら鼻をかんだ。

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 1年ほどの経験から思うのは、カウンセリングは自分自身を見つけるためにあるということだ。

 カウンセラーは私が抱えている迷いに対する回答を与えてはくれない。夫とどのように関われば良いのか、離婚をすべきか、私の迷いに彼女は答えてはくれない。彼女がしてくれるのは、様々な質問を投げかけて私が私自身の本当の気持ちを探すのを手伝うことだ。「今どんな気持ちですか」「なぜそんな風に思ったのですか」、彼女はそんな問いかけで私が自分自身と向き合うことを助けてくれる。(彼女が唯一私に強く提示した「回答」は安全確保のために別居すべきだ、ということだけだ)

 こうしたゆっくりとしたやりとりの中で、私は自分自身の感情にひどく鈍感な人間だ、という事実を発見することになった。自分の想いが、本当に心の底からの気持ちなのか、「こう思うことが正しいのだ」という自身で押し付けた枠によるものなのか、よく分からない。この発見は私を愕然とさせた。
 幼い頃、私は「いい子」「優等生」と呼ばれ、両親や周囲にいる大人達を喜ばせることを無意識に選ぶような子どもだった。自分の気持ちより先に周囲の視線や評価が気にかかる。そんな考え方の癖のために「自分のしたいこと」や「自分の気持ち」は霞んでしまい、いつしか私はそれらときちんと向き合うことを避けるようになっていたのだろう。そしてその傾向は、暴力的な夫と結婚し、びくびくと彼の顔色を見ながら過ごすことで一層強化された。

「夫のことが怖い、でも私は我慢強い人間なので努力すればきっと克服できると思う」
「夫のことが信じられない、それでもいまアルコール依存症の治療を受けている彼の手を放すことは許されないことだと思う」
 私はカウンセリングの場でこんなことを繰り返し言い続け、その度にカウンセラーから「なぜそう思うのか」と問いかけられてきた。
 そしてこの問いかけは、私が世間体や強すぎる倫理観の衣を捨てて「離婚したい」という本当の気持ちに気付くまで、数か月間に渡って辛抱強く続けられたのだった。 

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 実際にカウンセリングを受けた経験を持つ人はそう多くないかもしれない。カウンセリングを受けるのは少し特殊なことであるように思われるかもしれない。しかし、それは決して特別なことではないのだ。それは、自分の好きな映画を見て思いを巡らせたり、旅行をして初めて見る景色に感動したりするのとあまり変わらないことだと私は思う。心を揺さぶられたり深く考え込んだりすることで、少し考え方が変わったり、自分の新たな一面を発見したりする、そんな体験の一種なのだ。
 カウンセリングを通じて気付いたことや発見したことは、家族の問題が解決した後も、これからの私をきっと長く支えてくれるだろう。私はもうしばらく、カウンセリングを継続してみようと思っている。


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(付録:私の近況)
弁護士の先生を経由して、夫からの手紙を受け取りました。どう返信したら良いものかと悩んで一週間ほど不安定に過ごしていたところに、先生からの連絡が。私の体調を気づかいながら、「全部こちらに任せて下さい」と力強く言い切ってくれました。先生がついていてくれて良かった、と心から思って安心した瞬間でした。

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