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頭の中に自由を!

 離婚して最初の里帰りというのは、何にせよとても気が重いものだ。12月の初旬に離婚して、大晦日から正月にかけての帰省は何よりも憂鬱だった。
 しかも私は離婚したことをずっと両親に言えないでいたから、一層気が重かったのだ。

   *

 DVとアルコールの問題を抱えた夫との離婚を決意したのは夏前のことで、このタイミングで両親に簡単な報告はしてあった。親に一切頼ることなく一人で弁護士を探し、すでに契約を決めていた私に母はまっさきにこう言った。
「弁護士さんに私達のことはどう話してるの? 娘を助けないだらしない親だと思われると困るでしょう。私達はきちんとしているって先生に話しておいて」
 なぜ、と思った。なぜこんな時に一番に気になるのが自分の世間体のことなのだろう。30代の娘が自分の問題解決の主導権を持って自分で行動するのは当たり前のことなのに、一体何を言っているのだろう。
 それから離婚協議の進捗は両親には一切話さないことにした。
 何を言われるだろうと思うと苦しくて話せなかった。両親の視線がいつも「世間」を向いていることが怖かった。 

 結局私がやっとの思いで両親にメールで離婚報告をしたのは大晦日の昼、実家にたどり着くほんの数時間前のことだった。
「独身に戻りました。ご心配とご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」
一行書くのがやっとだった。

   *

 報告の様子が異常すぎて、娘は離婚の話題を避けたがっていると両親に伝わったのだろう。私は過剰なほどに気を遣われて正月を過ごすことになった。
 結婚して子どものいる同年代のいとこの年賀状が私の目に触れぬようにそっと伏せられたり、私が廊下に出たタイミングでひそひそと私の精神状態についての意見交換がなされていたり(全部聞こえているのだ)、そんなことは私を息苦しくさせた。

   *

 正月休みを乗り切って私はすぐにいつものカウンセリングルームを訪れた。帰省が辛いだろうことを予想して予約をいれておいたのだ。
「帰省はきつかったです。両親が気遣ってくれることはありがたいと思わなくちゃいけないと分かってはいるんですが」
「ありがたいと思わなくていいです」
私の台詞に重なるほどに間髪いれずにカウンセラーが言った。
 にわかには信じられなかった。学校でも会社でも物事をポジティブに捉えることの重要さと有用さを何度も何度も刷り込まれてきたからだ。ましてや自分の家族に関わる物事であればなおのこと。家族のことを悪く思ってはいけない。私は彼女の言っていることをすぐには理解できず「そうかもしれないですね」と言ってあやふやに笑った。

 いま時間がたって、彼女の言わんとしたことがようやく少しだけ理解できてきたように思う。
 要するに自分の感情に蓋をするな、ということだ。何かを「思わなくちゃいけない」と考えることは、そう思えない自分に罪悪感を抱かせて苦しめる。大いに自分を苦しめるのに、何か状況を良くすることにはつながらない。自分の感情を殺して「思わなくちゃいけない」に無駄なエネルギーを使うのであれば、いったん自分のネガティブな感情を認めたうえで、状況を良くすることを考えた方がいい。
 親の過剰な気遣いをありがたいと「思わなくちゃいけない」と考えて、そしてそうできずに悶々とするより、「私は親の気遣いに息苦しさを感じている」と認めてしまった方が楽になる。そうすれば、「過剰に気遣いしなくても大丈夫だと分かってもらうためにはどんなことを伝えればいいだろうか」「いっそ外にコーヒーでも飲みに言って一呼吸しようか」と考えられる。

「思わなくちゃいけない」の亡霊は親子関係以外にも、きっとあちこちに潜んでいる。
 どうしても早く帰りたい日に上司に膨大な仕事を与えられた、本当は嫌だけれどこれも成長につながると「思わなくちゃいけない」
 飲み会でちくちくパワハラめいたことを言う男性が嫌だけれど、これもコミュニケーションの一種なんだと「思わなくちゃいけない」
 亡霊は人の感情を塗りつぶり、本当の問題と向き合うことを邪魔する。とても厄介な亡霊なのだ。

 頭の中に自由を。「思わなくちゃいけない」こともないし「思っちゃいけない」こともない。たとえそれがネガティブなものであっても、自分の感情をいったん認めるところから、自分も周囲の人も過ごしやすい環境を作ることが始まるのだ。
 頭の中に自由を。それが今年の里帰りで得られた教訓だ。次に帰省する時にはもう少し両親と穏やかな時間を過ごそう。

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