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「ま」Michael Jacksonと僕らのバブルスについて

 「キング・オブ・ポップ」「ポップアイコン」この言葉はマイケル・ジャクソンを形容するために生まれたような言葉だろう。

しかし、私は彼をスターと呼ぶし、Michaelと親しみを込めて呼ぶこともある。僕だけのスター、僕たちのスター、みんなのスターそれがマイケル・ジャクソンだ。本当にこの言葉は当てはまると思っている。いつまで経ってもかっこいい彼は本当に唯一無二のスターだと思う。それ以外の人をアーティストというけれども彼はアーティストではない。スターなのだ。

ひたすらに輝ける存在、亡くなって尚その光は強まっているようにも思う。そんな彼について私なりの考えを書いていきたい。同世代の平成初期生まれ人は彼に対してあまり良いイメージを持っていない人も多いだろう。そんな人も今回の記事を読んでどこか引っかかる所があれば、嬉しいです。

今回はMichael Jacksonの功績をいくつかの点に分けて紹介していくことで彼のバイオグラフィーにもなればと思います。レッツゴー!

歌がうまいってレベルじゃない少年

 今では自分の子どもに才能がある!勝手に思い込む父ちゃん母ちゃんはたくさんいることだろう。60年位前のMichaelの父ちゃんもその一人だったのかも知れない。もしかしたら、「これは息子で飯が食えるかも」と考えたのかも知れない。

Michael Jacksonのデビューは幼少期に遡る。 Jackson5という兄弟ユニットでモータウンレコードからデビューした。このころのモータウンレコードについても語りたいのだが脱線してしまうので割愛。この頃のMichaelはめっちゃ可愛い。もう、愛くるしい!!

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モータウンと契約した後彼らはビートルズがアメリカで名を挙げたことでも有名なエド・サリバン・ショーへ出演する。

その時の映像は意外と見たことがある人は多いのでは無いだろうか。この頃の曲はMVという概念が薄かったのでこのような有名なパフォーマンスが代表として挙げられることが多い。表情豊かな可愛いMichaelを御覧ください。

彼らはこれ以後もヒットを飛ばしていき、有名ドコロだと、ABCだろう。

彼らは順調にキャリアを重ねていくのだがどうしたって成長には抗えない。それなのに世間一般は彼らを昔の Jackson5として見ている。そこから、Michaelは脱却したかったのだろう。これなんかも彼らが思春期になっても同じことを消費されていた良い例である。こういうのを海外ではバブルガムポップスと言ってガムでもくちゃくちゃ噛んでる若者向けのアイドルポップソングとしてそういうカルチャーがあったらしいです。

これなんか曲と衣装のミスマッチだろう。この帰ってほしいのはまじでファンキーで格好いい。ソリッドな帰ってほしいからのABCのメドレーは最高ですよ。

しかし、彼らはもっとファンキーな路線に行きたいのだ。アイズレー・ブラザーズのようにファンキーでメロディアスな路線に行きたい当人たちとレーベル側で軋轢が生まれ、レーベル移籍をする。その後、Michael自身も作曲、プロデュースを経験することで、アイドルというよりは表現者としての顔を見せてくる。そして、かねてより親交があったクインシー・ジョーンズとタッグを組んで三枚のアルバムを出すこととなる。この三枚ともに世界を驚かすような作品となる。

1枚め「Off The Wall」

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2枚目「Thriller」

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三作目「BAD」

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どれも名作名盤一生語り継がれるであろう作品であることは間違いありません。みなさんはどれ派?くらいに話せるくらいには洋楽を通ってきた人はなんとなくでも聞いているんじゃないでしょうか。ちなみに私は誤解を恐れずに言うと黒い時のMichaelが大好きなんです。これは父から請け負った言葉なのですが本当にそのとおり。一作目のオフザウォールからThrillerの間にモータウンの25周年のライブがあり、過去の軋轢もありましたがジャクソンズで出演し、その後Michael一人だけが残り、初めて夜にビリー・ジーンとムーンウォークを披露するのだ。こんな格好いい演出ありますかってくらいお膳立てができている。

どうぞ!!

一人ぼっちのMichael

 私が大好きなのは、先にも紹介した。「オフザウォール」というアルバムだ。黒いマイケルという中々に今では引っかかりそうな形容をしてしまいましたが、本当にそうだと思うのだ。サウンドはクインシー・ジョーンズとのタッグでアーバンにまとまっているがブラックミュージック特有のグルーブとリズムでうねりのある作品となっている。その後のR&Bの指針ともなったようなサウンドである。

どうしてもブラックミュージック特有の感覚なのだが、ゴテゴテ感というのだろうか。サウンドがやたら派手であったり、ベースが効きすぎているということは、この頃の音楽を聴くと往々にしてあることである。リリースは一年前ですがこれなんかもヒットソングにはなりましたがその典型です。(これもこれで大好きですですが)

大柄なおばちゃん(多分本当は若い)が声のハリとパワーで押し込んでくるような圧のある音楽と正反対のようなアルバムがこのオフザウォールなのです。しかし、ブラックミュージック良さ、ツボは抑えてくれるというのか気持ちのいいところ忘れていない。今聴いても最高なアルバムです。

しかし、MVを見てもらって分かるように、まだこの頃のMichaelは一人なのだ。一人ぼっちで自分の成功を信じながら進むしか無い。一人の若者なのだ。すでに人気者であったが、このアルバム自体が家族にもクインシー・ジョーンズとのタッグを否定されたりと大変なストーリーを持って生まれたこのアルバムが持つ価値は、私にとっての世間一般の「What's going on」と同義としておきます。

音楽と映像の融合

 一人のMichaelはここでお終いだ。彼はオフザウォールの後モータウンでのパフォーマンスもありニューアルバムが注目の的であった、。そして、発表されたのが世界で一番有名とも言われる。このアルバムだ。

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ここからMTVというチャンネルが登場する。MVをひたすらに全米に流すという音楽チャンネルでここで跳ねるというのをMichaelやその他のアーティストで文化の素地を作っていった。

なんなら、公開されたThrillerのMVはショートフィルムのような多大な予算をかけ、「もう、これは売ったんぞ!!!」とレーベル関係者の意気込みさえ感じるような作品であった。スティーブン・キング作品ばりの骨太な作品に当時の人は度肝を抜かれただろう。曲は3分半なのに、MVは14分くらいあるんですよ??

未だにこれを超えた!と言われるようなMVはないんじゃないだろうか。最初にして最高を作るという彼のスター性を表すエピソードの一つだろう。

プロテストソングではないアティテュード

 彼は平和主義者であったといつでも思う。それの最たるエピソードがみんなが知っている最高の曲の一つ。ウィー・アー・ザ・ワールドだ。クインシー・ジョーンズ、ライオネル・リッチー、マイケルの三者で曲は作り上げ、アメリカの音楽祭のようなもの終わりでみんなで一気に作り上げた曲である。元ネタ云々書きたいが長くなのでやめておくが、まず曲が最高だ。そして、これだけ豪華な布陣の中でマイケルが一番のパートを背負っているということが彼をスター足らしめた映像としての証明のひとつである。今見てもエネルギッシュで、幸せを分けてもらえますよね。そして、先輩に当たるマービン・ゲイとは違い彼は愛で地球をどうにかしたかったのだろう。そういった面でもカウンターカルチャーとメインカルチャーの間でずっと右往左往していた彼なんだ。

復活(Easter)

 そんな彼も。変に児童虐待や奇行などの報道ばかりが目立つようになり、私は朝ごはんを食べながら朝の報道番組を見て、「変な人がいるもんだな」くらいの感覚でその報道を見ていた。しかし、これこそマスメディアの大罪ではなかろうか。不起訴処分ばかりのことを報道しまくりその後をどうなったかなど報道はせず、話題性だけを追っていくことで人に対するイメージを構築していくこれは本当に恐ろしいことだ。

そして、これは私的な意見だが、良い音楽は、良い人間性ではなくストーリー性のある人生から生まれると思っている。何かトラウマになるくらい嫌なことがあった。むしろ、楽しくてしょうがない。薬物でキマっているその一瞬などどれも話題性には事欠かないし。その中で、なんとなく生きるって良いよね、真面目に生きなきゃねというメッセージがあっても良いだろう。しかし、それが全てではない。むしろ、音楽を聴く時に彼らのストーリーや自分と重ねられるものがあった時に人は感動するのだ。そこに清潔感なんかいるんだろうか。

だから言いたい。パパラッチっていらないですよね。別に聖人に音楽を提供してほしいわけじゃないんですよ。むしろ、音楽に救いを求めている時点でどこか欠けているんだから。

そして、彼は亡くなってからまた再評価される。これこそイエスが亡くなってから広まっていくという意味で、復活祭になぞらえました。

切り売りパート 性欲ゴリラ君

 こんなマイケルの話の後に書くことでは無いと思うが、私の中で一番性欲が強かった友達を紹介したい。彼をゴリラの愛称を込めてGともう一度使って名付けよう。

彼は野球部出身で筋骨隆々喧嘩したら多分誰も勝てないだろうというやつだった。

そして、いつだかだろうか彼は野球以外のはけ口を見つけてしまったのだ。それが風俗だった。所謂風俗三大聖地を制覇したいと社会人になってから盛んに語っていた。彼はそれを生きがいとさえしていた。

なんだかんだで私達もその度に巻き込まれていく。その中の一つを話そう。

私達は関西旅行へ出かけた。そして、4県を跨ぐ旅行へとなったのだが彼は各県でその土地の一番いい(風俗)店に行くという目的を持って旅行へ出かけた。

まあ、行きたいなら良いんじゃない?くらいのテンションで一緒に旅をしていた私達だが、びっくりしたのが風俗の流行っていないような田舎県に来た時にそこに住んでいる友達の家に泊まらせて貰ったときのことだ。

彼はアーケードをウロウロしていたがさすがは田舎スタートが熟女と付くような店なのだ。彼のお眼鏡にはかからなかった。

そして、この頃流行っていたものとしてVRがあった。

そして、友達の家でVRのAVの体験版を楽しもう!となった。これが初期のVRということもあり衝撃はすごいのだがまだ技術が追いついていないというような印象だった。しかし、下を向けば下の景色があり、右を向けば右の景色があるということは革新的であった。まあ、興奮はしないんですけどね。。

しかし、彼は違った。

今でも証拠の動画が残っているのだが、みんながVRを楽しむなか、彼が言った「あー、もうデリヘル呼ぶわ」

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ん?

皆さんは今までの文章を読んでいただろうか。私達は友達の家に泊まっているのである。つまり、、、、そうだ。

私達→リビングのみでグレンラガン(天元突破!!!!!)をひたすら流しながら待機

G→家主のベッドルームと風呂を専有

この恐ろしい現象が起きたのだ。

気がつけば、嬢が到着する時間となりピンポンが鳴った。戦慄した。中々に大きい方がいらっしゃったのだ。

私達は声を殺すばかり。リビングに響くのはグレンラガンのみ。そんなカオスな部屋の隣でGは致していた。

こんなことがその後も前もそこそこにあるから彼は面白い。そして、私達の合言葉がある「迷ってるなら面白い方に飛び込んでいけ。」そうやって、変な人生を形成していくのだ。

では、また。

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