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私の娘は学校に行けない

SNSで教師を名乗る人たちや大人の「不登校児」に対する言葉を見ると、本当に辛くなる。世の中そんな教師ばかりではないとは思うし、娘の通う学校の先生はそんな風に思っていないと信じている。でも「単なるわがまま」「あまやかされてるから」「親のせい」「学校に行くのは当たり前」「行事だけ参加するとか他の生徒が我慢することになる」などの言葉を見ると辛くなる。

たぶん、多くの人は学校に「行けない」子がいる事を理解しようとはしていないんじゃないかな。私は娘のことですら理解できなかったので、生徒や他人の子のことを理解できないのはすごく分かる。なんなら、娘自体もなぜ学校に行けないのか分からず苦しんでいる。

娘は学校に行けない事に罪悪感を感じている。
行きたい、行かないといけない、でも行けない。ほとんど行っていないのに学校でクラスメイトに話しかけたら嫌がられるのでは?そんな思いから学校に行ってもクラスメイトに話しかけることも出来ず、ますます行くことが苦痛になる。学校に行っていない事を知られるのを嫌がる。ダメな人間だと感じている。
行事の時には「行事だけでも」と先生が声をかけて下さり、少しの練習と本番に参加する。ただそこに参加できているだけで私は嬉しくて号泣する。娘も少し楽しかったと言う。クラスメイトに迷惑をかけていたのかしら…

行かなくてもいい、と何度伝えてももう遅いのかもしれない。娘が小5ぐらいで学校に行けなくなった時に、私は全く理解できず毎日激怒していたから…。引きずって玄関に連れて行ったし、学校にも行かないでどうやって生きてくのか!!いやがらせもないのに行けない理由はない!!ただのグ~たら人間だと罵った。罵ったまま仕事に行く日々。

それでも娘は絶対に行かなかった。毎日「ごめんね。明日は行くね」そう手紙をくれた。数か月してやっと「行かないのではなく、行けないのではないか」と感じるようになった。でも、それが頭にあってもどうしても理解しきれなかった。自分を納得させようとしてもどうしても「行けない理由がない」「どんなに辛くても私は行った」「行くべきだ」そう考えてしまった。どんなに口で「行けないなら行かなくていいよ」と言っても本音は違うので、ストレスで不機嫌に娘に当たってしまう。

それは娘に伝わっていたと思う。「行かないと怒られる」ずっと娘はそう感じ続けてると思う、今も。それは私のせい。変えられない。時間をかけて本心からの「行けないなら行かなくていいよ」を伝えていくしかない。

家でのやり取りをすべて学校側に伝えることは不可能だし、そんな信頼関係が担任とできることはまれだと思う。だから理解してもらうのは難しいとは思う。「不登校」とひとくくりにして言っても様々な子供がいる。「行かない」と決めて行っていない子と「行けない」子がいる。行けない理由が明確な子もいれば、理由が明確じゃない子もいる。学校に行っている子だって、行ってない子だって、みんなそれぞれ辛い思を抱えている。だから特別扱いをして欲しいのではなく、理解してみようか…とほんの少し寄り添ってもらいたい。

幸い、娘の中学校の先生は、私が「たぶん怠惰ではないと思っています」と言ったら「お母さん、絶対違いますよ。それは絶対に怠惰ではありません。ゆっくりやりましょう」と強く言ってくださった。

親だからこそ「行ってよ!!!!」と思うのかもしれない。他人だったら「単なるわがままだろうね」「親に問題があるんだろうね」となるのかもしれない。学校に行けない子供を持つ親の葛藤が痛い程わかるから、簡単にわがままとか親のせいとか言わないでいただきたい。

娘に謝ったことがある。
娘が「学校に行かなければ」とのストレスで心身共に大きく体調を崩した時に「私のせいでごめんね」と。娘は怒った。私のせいではないと。
娘は自分が謝られるような「良くない状況」であると言われたような気がしたのだと思う。反省した。
それ以来「どんな状況でもいいよ」と寄り添い、私のせいだと思うのをやめた。必死で子供と向き合っていたら、何かと自分のせいだと感じてしまいがちだけど、子供にしたらそんな風には感じて欲しくないこともある。もっと子供を信じていいと思う。もっともっと可能性を信じて寄り添い続けることが必要なんだと思う。難しいけど…

「なんとかなる」を口癖にして、娘が罪悪感を感じず前向きに生きられるように寄り添おう。

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