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もうすぐ、休職1年。

先日、大学時代からの友人たちと会うために車を走らせた。
GW初日で道が激混みしていて渋滞真っ最中、窓の外に「春」が溢れていて、思わず写真を撮った。

車内からなのに、こんなに鮮やか。
こんなに綺麗な世界があったなんて、1年前は気が付かなかった。

心の中も世界も、もやもやしていた。
もやがかかってずーーーーんとしていて、暗い灰色のような。
しばしば雨が降って、時々強い風が吹いて、たまに嵐がやってくる。

母危篤という、大嵐がやってきたりもした。

1年経って、とことん休んで、たくさん悩んで、たくさん泣いた。

でもそのうちに、何が好きかわかってきた。
これがしたい、あれがしたいと思えるようになってきた。

「こうしなければ」「こうするべき」ではなくて、
「これがしたい」「してみたい」と思えるようになってきた。

「私はここがダメだから、治さなければ社会に出られない。」
というような自己卑下や強迫観念が消え去った。
「将来が不安だからこうしなければ」「苦しいからこの苦しみをなくすためにこうしなければ」
というようなとにかく不安で心配で苦しい気持ちも消え去った。

そんな感情の代わりに、「今の自分で十分頑張ってるわ」「今日、会社に退職の気持ちを伝えた自分偉いわ〜」と自分を褒めながらお寿司を食べたり、
正直お金もないし過去最大に太って自己嫌悪に陥ってもおかしくないし、社会的にこれからどうなるかも未知だし心配なことがたくさんあるはずなのに、「まあどうにかなるか」「お金もどうにかなるだろう」と楽観的に、でも現実的に歩けそうな気がしている。

根拠のない自信が、私の心の中にやってきた。

これは間違いなく、

・仕事を十分休んだこと
・たくさん寝たこと
・美味しいものをたくさん食べたこと
・四季を感じ、自然と触れ合ったこと
・カウンセリングでプロと話、頭と心を整理したこと

そんなものたちのお陰だと思う。

グラグラした土台の上に、たくさんの「頑張らなきゃ」「頑張る」を積み重ねてきて、崩れ落ちてしまった。
だから、まずは一回土台の上にあった瓦礫を少しずつ掃除して、しっかりした土台作りをする。

どんな形の、どんな色の、どんな大きさの土台にするかは、誰かのものではなく私だけのもの。
それがしっかりして初めて、受け入れられるものがあることを知った。

私の場合は、1〜2ヶ月のつもりが1年を要した。
きっとその期間は、人それぞれだろう。
1ヶ月の人もいるだろうし、3年の人もいるだろうし、10年の人もいるだろう。

でも、「大切なのは焦らない」ことだ。

絶対に、そう。
(鬱になりやすい人は頑張り屋さんが多いから、時期尚早で復帰する人も多い気がするけれど、可能な限り休み切れると良い気がする。)

十分休んだら、そのうち、自分を取り戻せた、そう思える時がきっとくる。
しかも、不意に、突然に。
(私は前日まで不安定だったが、Drのとある一言がきっかけで点と点が線につながり、もやもやが一気にすっきりする感覚があった。)

自分だけの感覚では不安で、カウンセラーやDrなどの専門家にも確認し、太鼓判をもらえた。信用ができる専門家の言葉は偉大だ。
自分や本、ネット、友だちや先輩に頼りある種勝手に振り回されていたが、まさに、「桶は桶屋」なんだなと感じる1年でもあったな。
(あ、もちろん本、ネット、友だちや先輩は大切だけどね。でも、一番大切なのは、誰かのアドバイスや誰かに許される振る舞いではなく、自分の感覚なんだよね。)

そうしてそこで積み上げた信頼関係や自信を糧に、力に、これからを楽しく生きることができるような気がしているし、もしまた迷った時は、また会いにいける人がいるその事実が心強い。

35年間しんどくて頑張ってきた日々が報われた1年だった。

これからの人生、どうなるだろう…きっと、上がったり下がったりだよね。

そのスタートの地は、福岡。

昔の縁で、家も就職先も見つかった。

カウンセラーからも、それらに太鼓判をもらった。

6月から、リスタート。

まずは、自分を大切に、そうすることで周りを大切に。
穏やかでリラックスした、そんな日々を送りたい。

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