現代ゲーム全史



読んだので書評的なものを書いておこうと思います。
2016年の出版ですが2010年代までは補えるのかなと。


序章


前提

少し小難しいが前提となる部分なのでかいつまんで説明すると、横軸が「競争」「運」「模擬」「眩暈」というゲーム分類、縦軸が「理想」「夢」「虚構」「仮想現実」「拡張現実」という時代分類である(1945年から15年ごと2020年まで)。

現代ゲーム史を読み解いていくにあたり、各時代のゲーム作品に通底する共時的な構造を大づかみに把捉(はそく)するための横軸の枠組みとして、フランスの思想家ロジェカイヨワが主著「遊びと人間」で提起した古典的な分類体系を、本書では便宜的に踏襲していく。

すなわち、スポーツやテーブルゲームのようにルールに基づき技能によって勝敗を競う「競争」、サイコロ遊びやクジ引きのように確率的事象に委ねて勝敗を分ける「運」、ごっこ遊びや演劇のように虚構的な約束事に基づき何かを真似する「模擬」、ブランコや舞踊のように日常とは異なる身体体験の爽快感やスリルを楽しむ「眩暈」の四つの要素の組み合わせとして、人類のあらゆる遊びの理解を試みようとする見方である。

以上の遊戯論上の枠組みを横軸としつつ、現代ゲーム史の直接的な背景駆動因となる20世紀後半以降のテクノロジーと社会文化の足の速い変化を、相応しい解像度で通時的に把捉するために、もう一つ縦軸の枠組みを援用したい。日本の社会学者・見田宗介が「現代日本の感覚と思想」などで提起した時代区分である。

すなわち、第二次世界大戦が終結した1945年を起点に、ソビエト連邦の崩壊で冷戦体制が終焉する1990年代までを、約15年おきに「理想」「夢」「虚構」という「現実」の三つの反対語によって戦後社会の精神史を分節化するもので、国内社会文化の批評や人文研究の領域ではポピュラーなフレームとして援用されることが少なくない。

第6章までで、見田が提起した三つの反現実で規定される一連の戦後史観のセットは完結する。冷戦の終焉という世界史上のメルクマールのみならず、日本国内では奇しくも元号が昭和から平成に変わり、さらにはバブル経済が崩壊して長期にわたるデフレ不況に陥るなど、社会の前提が名実ともに切り替わっていく時代に突入する。

したがって、1990年以降にさらに飛躍と細分化を遂げていくゲーム史を捉えるためには、新たなターミノロジーが必要である。ここからは、批評家の宇野常寛が「リトルピープルの時代」で見田を継承しつつ提起した、二つの時代区分を援用したい。

すなわち、同時代に浮上したヴァーチャルリアリティ(VR)やオーギュメンテッドリアリティ(AR)といった情報技術上のコンセプトに由来する「仮想現実の時代」および「拡張現実の時代」である。「現実」を修飾するこの命名法には「虚構の時代」にゲームが先導した情報技術系の普及により、テクノロジーは何らかの反現実を志向する観念を表象するものというよりも、人々の身体的な現実感そのものを直接的に合成したり変容させうるツールとなったことが、見田の用語系との対照性を担保しながら端的に示されているといえる。

よって、本書後半では、ここまでの時代区分と同様に15年スパンで「仮想現実の時代」(1990~2004年)と「拡張現実の時代」(2005~2019年)を規定し、それぞれをさらに3期に分けて章立てしてゆく。これはファミコン以降のコンシューマーゲームの各社プラットフォームが、約5年ごとに世代更新を重ねてきたことを扱う上での便宜上に合致する切り分けでもある。

現代ゲーム全史


概要

ゲームの個人史・FF7から(PS1から)

ファミコン、ゲームボーイ、スーパーファミコンとプレイしてきてプレイステーションにいき(セガサターンも少しやった)、FF7やバイオハザードをプレイし、PS2を買いFF10をやり(2000年代はあまりゲームをしていない、FF11もなし)、PS3を買ってデモンズダクソにはまり(FF14はPS3で始めた)、コンシューマーはPS3が最後で以降はPCに移行した、という感じの経緯。RPG寄りの割りと万人向けのゲーム遍歴である。

デモンズダクソでゲームに復帰した、という点が少し変わっているかもしれない。携帯ゲームはほとんどプレイしていない(ポケモンもモンハンもなし)。スマホゲームも同様(パズドラも艦これもポケモンGOもなし)。ダクソ3からはもうほぼPCである。

現代ゲーム史を読んだが、ここから自分の知見で欠けていた知りたかった情報の抜粋を記載しておきたい。FF7、FPS、MMO、Modである。

と思ったがちょっと気が変わったかもしれない。


第7章では「仮想現実の時代」の確立期にあたる1990年代前半、スーパーファミコンがファミコンから王座を引き継ぐ中でのゲームシーンの爛熟を取り上げる。2Dドット絵の表現によるコンシューマーゲーム機が比較的「透明なメディア」となって作品性の追求が行われるとともに、対戦格闘ブームの火付け役となった「ストリートファイターⅡ」や、ポリゴンによる3D表現の導入で来たるべきVR世界の未来像が垣間見えた「バーチャファイター」など、アーケードから新たなムーブメントが興った時代である。

第8章では、新たな「国民機」の座を奪取したプレイステーションやセガサターンなどの「次世代機競争」が産業トピックとしても取り沙汰された、日本ゲームの黄金期とも言える1990年代後半の諸相を見る。いよいよ3DCGがゲーム機の標準機能として実装されて「バイオハザード」「ファイナルファンタジーⅦ」のような作品が世間を驚かせ、子供たちのコミュニティでは「ポケットモンスター」が口コミでブレイク。さらにGUIを備えたパソコンやインターネットの本格普及で「ウルティマオンライン」のようなオンラインゲームの進化も始まり「仮想現実の時代」は急速に実質化していく。

第9章では、プレイステーション2やドリームキャストなどへの代替わりを経て日本ゲームの進化が臨界に近づき、右肩上がりだった市場が陰りを見せる中で「仮想現実の時代」が終期を迎えるさまを描出する。国内的には、大きな話題となるソフトが超大作か「東方Project」「ひぐらしのなく頃に」のような同人ゲームかへと二極化する一方、海外では徹底的に3DCGによるフォトリアリスティックな表現を活かした「ハーフライフ2」のようなファーストパーソンシューター(FPS)などがグローバルスタンダードのゲームジャンルとして伸長。21世紀には国内外のゲームシーンの動向が次第に乖離してゆく状況が浮き彫りになる。

第10章では、生活環境としてのネットやケータイの定着が「コンテンツからコミュニケーションへ」の潮流を引き起こし、2000年代後半から〈拡張現実の時代〉が姿を現していく時代変動のプロセスを追う。とりわけ日本では、「脳を鍛える大人のDSトレーニング」のようなエデュテインメント系タイトルのブームからカジュアル層への浸透をもたらしたニンテンドーDSや「モンスターハンターポータブル」のヒットで街の風景を変えたプレイステーションポータブル(PSP)など、携帯型ハードにコンシューマーゲームの主流が移行する。さらには携帯電話インターネットサービスの独自進化に下支えされた「怪盗ロワイヤル」などのモバイルソーシャルゲーム(ソシャゲ)の登場で、国産ゲームのビジネススキームそのものが大きな転機を迎えることになる。

第11章では、スマートフォン(スマホ)の普及により、いよいよ文字通りのAR技術がゲームエンターテインメントの分野に導入され、「拡張現実の時代」が本格化していく2010年代前半を扱う。日本ではガラケーソシャゲからのカジュアルな脈絡を継承しながら「パズル&ドラゴンズ」のようなスマホゲームが市場の主流に躍り出たほか、世界的にはインディーズ発のクラフト系ゲーム「マインクラフト」が動画サイトなどでプレイ風景を共有するゲーム実況文化の隆盛を背景に大きな潮流を生み出したり、位置情報ゲーム「Ingress」がかつてない規模でゲームと現実空間を交錯させたりといった風景が現出している。

以上を史的叙述の本論として、終章では「拡張現実の時代」の最終期として「ポケモンGO」やVRの本格普及が話題を呼んでいる現在進行形の動向を追いながら、デジタルゲームを通じてテクノロジー化された遊びの力が、いかに今後の文明のありようをデザインしていきうるかの原理的な考察を試みたい。

現代ゲーム全史


抜粋

9-8 FF10の到達点と北米圏へのハイブリッドアプローチ

一方のFFシリーズもまたドラクエ7とは別の意味で臨界を迎えつつあった。プレステ移行ののちはリリーステンポがさらに上がり、FF7FF8FF9とほぼ毎年のようにナンバリングタイトルが発売されていった勢いは衰えずにPS2にも流れ込み、ハード発売の翌2001年という最適なタイミングでFF10が発売されるに至る。 

プレステの命運を決定づけたFF7の制作陣が手がけたFF10は、プレイヤーと主人公とを演出的になるべく一致させようとする「自分の物語」志向のドラクエシリーズとは対照的に、「他人の物語」に寄り添わせるシリーズ特有の手法をさらに洗練させていく。 FF7では主人公クラウドが、プレイヤーに隠された過去の記憶が物語中盤で暴かれていくというかたちで、「自分自身が知らない主人公の秘密」を探求するシナリオ構造を特徴としていたが、FF10では主人公ティーダがいきなり物語冒頭で元いたザナルカンドの世界から別の世界スピラに飛ばされるという構造で、プレイヤーにとって未知の世界を旅するという立場を重ね合わせた。シリーズで初めて声優による台詞芝居が導入され、状況への心象を語る主人公のモノローグが多用される演出が採られたこともまた、元の世界とは異なるルールが支配する異世界への戸惑いや、出会った仲間たちとは共有できない心情をプレイヤーにだけ伝える効果を生んだ。 

こうしてプレイヤーの立場をティーダという独自の内面を抱える主人公に寄り添わせる一方で、ティーダには旅の能動的な主体者ではなく、スピラ世界を悩ませる自然災害に似た脅威である「シン」を調伏する使命を負った大召喚士を目指すヒロイン・ユウナのガード役という従者の立場が与えられ、異世界人の立場で事件を観察していく視点を得ることになる。これにより、一本道のシナリオを歩まされる立場をストレスにせず、むしろ主人公の心情にプレイヤーを二重の意味で同期させて臨場感を高めるストーリーテリングに昇華させた点は、本作が見せた円熟味であった。 

かくして、「異世界人であるティーダだけが知らないスピラの悲しい理」として、歴代の大召喚士にはシンを完全に倒すことはできず、自らの命を捧げる究極召喚によって数年から数十年単位でのシンの不活動期間である「ナギ節」を得られるばかりであるという真相が、物語中盤でティーダに知らしめられることになる。善悪を超越した仏教的な生老病死の象徴とも言えるようなシンの存在感や、その対処のための循環的な人身御供の必要性を説くエボン教の設定など、ここで示されるアジア的・民俗学的な世界観は、従来のRPGで表現されてきた文芸性の水準を大きく超え出るものだ。 

その上で、シナリオはティーダとユウナの恋愛を描きつつ、シンによる死と破壊への一定の諦念を説くエボンの因習を克服し、シンの完全打倒を目指すという近代的な解決の模索へと導かれていく。そしてそのための道を探る主体として、それまで状況の客体だった異世界人ティーダが物語を牽引する立場になるのに加え、彼の出自をめぐる謎がクローズアップされていき、最終的には「相手を慮って真実を隠しながら自らが犠牲になる」側が入れ替わるという作劇で、悲恋と世界の救済を儚く描ききるものになる。

元々のFFシリーズの作品性は、海外RPGのシステムやハイファンタジーの意匠題材のうちからドラクエが採り入れていない先進的な要素の先取りを重ねつつ、1980年代以降の日本アニメや少年漫画などの作劇パターンを採り入れていくというパッチワークの積み重ねによって進歩してきた。ここでFF10に至っては、シリーズを通じてのテーマやモチーフをアレンジして突き詰めていくうち、RPGという語りの様式と作劇内容とを高度に調和させた、日本発のオリジナルファンタジーとしての、ひとまずの到達点に達したと言ってよいだろう。

そしてFF7以来、3DCGによるムービー演出を追求してきたFFの攻勢は、ついに純粋な映像作品の制作にまで至る。FF10発売後の2001年中に、シリーズ産みの親である坂口博信を監督に、フルCG映画「ファイナルファンタジー」を日米で公開。ピクサーが1995年に「トイ・ストーリー」を公開して以来、アニメーション映画のカテゴリーではフルCG作品が登場していたが、生身の人間の役者を置き換える質感での実写的なフルCG映画は、世界初の試みであった。 

それまでの邦画では、高度な特殊効果(SFX)を活用したスペクタクルなハリウッド映画のような表現をどうしても技術的・予算的に実現することができず、日本映画の積年のコンプレックスであり続けてきた。しかしゲーム作品のムービーCGによって、プレステ時代には「バイオハザード」や「メタルギアソリッド」シリーズのような「和製洋画」とも呼べる表現が成立していた。このスタイルの延長線上に、フルCGでならば役者の人種の壁も超えることができるし、本当に日本発で成立するハリウッド映画が作れるのではないか。そうした蛮勇を実行に移したのが、ファミコン時代から「映画的」な表現を追求してきたFFシリーズだったわけである。

しかしながら、その意気込みとは裏腹に、過去のFFから星の生命エネルギーやシドという人物名といったモチーフを再構築しつつ、地球外生命体との戦いを描くSF作品として制作された映画「ファイナルファンタジー」は、記録的な興行的失敗を遂げることになる。先行する「和製洋画」系のゲーム作品と同様、本作はアメリカ映画的な見かけの質感のもと、日本アニメ的なキャラクター表現やストーリーテリングを盛り込んだものとなったが、それが中途半端なパッチワークに終始したためだ。 

基本設定を描写しきれない構成の失敗や、最終的に「ナウシカ」「マクロス」など1980年代に流行したエコロジカルな平和主義的解決に落とすなどの未成熟なシナリオは、ハリウッド映画の工学的に構築されたエンターテインメントの快楽原則の域に遠く及ばず、日本ゲームの挑戦は夢と終わる。奇しくもアメリカと日本での公開の合間の時期に9・11テロが起こったことは、本作が描いた価値観の無効を残酷に宣告するかのようでもあった。

結局のところ、この映画の興行的失敗が響き、スクウェアはエニックスとの合併を余儀なくされるのである。

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9-9 「FF」「ドラクエ」の大転換

一方、FFナンバリングタイトルのリリースペースは衰えることなく、同じく2002年には、シリーズ初のオンライン対応タイトルとなるFF11が発売される。ちょうどアメリカの元祖2大RPGシリーズとして「ウィザードリィ」と双璧をなす存在だった「ウルティマ」がMMORPGの時代を切り拓いていったのと同様、コンシューマー機で発売される初の本格的な大人数同時参加型のオンラインRPGとしての役割を、「ドラクエ」に先んじて果たすことになる。

ただし、FF10に至るまでに高度なシナリオ主導型の作風を極度に突き詰めたために、MMORPGとしての特性上、強力なシナリオによるカタルシスが期待できないFF11は、従来のFFファンをあまり幅広くは惹きつけることができなかった。一応、FFらしさを主張する個性として、本作は一般的なオンラインRPGに比べれば、プレイヤーキャラクターの所属国のミッション等を通じて、ムービー等で演出されるストーリー描写を充実させている点が特徴になってはいる。しかしながら、それはスーファミ以降のシリーズで練り上げられてきた「他人の物語」に寄り添わせるタイプの高度なシナリオ演出とはほど遠いものだ。

したがって、UOが成し遂げたようなかたちでは、FF11はシリーズの一貫したアイデンティティを継承しながら、スタンドアローンからオンラインへと、ユーザーの主流を移行させることはできなかったと言える。日本ではFFの冠をもってしても、MMORPGをプレイするのは、一部のニッチな層に留まったのである。そのかわりに、他の有力な国産タイトルの追随がない中で、本作は息の長いサービスとなり、スクウェア・エニックスの安定的な収益源として発展してゆくことになる。

そして翌2003年にスクウェア・エニックスの合併がなされて以降は、FFとドラクエが同一ブランドから発売される時代が訪れることになる。合併後、両シリーズの正規の新作として、PS2向けに初めて発売されたのが、2004年の「ドラゴンクエスト8空と海と大地と呪われし姫君」であった。

この時点になると、さすがにもはやDQ7で臨界に達していた「自分の物語」を感受させるための「ドラクエらしさ」のフォーマット自体が、現代化を余儀なくされてくる。3DCGスタイルのRPGとして、フィールド画面はポリゴン描画された主人公の背後にカメラを置く、サードパーソン型の標準的なスタイルを踏襲するものとなり、戦闘シーンの演出でも従来にはなかったパーティーキャラクターの戦闘モーションが描画されることになった。

DQ7までは画面上に描画されるキャラクターは、あくまでも2頭身のディフォルメキャラとして記号化されたものだったため、あくまでも鳥山明のキャラクターデザインはイメージビジュアルとして、世界で冒険する「自分」たちの姿はプレイヤー自らが想像するものだという余地が、辛うじてではあるが残されていた。対して本作では、キャラクター勢は、鳥山明がデザインした姿が忠実に動く5~8頭身の人物として描かれ、しかも装備によってビジュアルが変化するため、画面に描かれた姿をそのままの具象として受け止めるほかのないものとなった。端的に言えば、ストーリーゲームとしての語り口やインターフェースの次元では、FFとほぼ大差ないものになったのである。

ここで、FFに比べて堀井雄二の個人作品という印象の強かったドラクエを集団制作化するにあたり、大きな役割を果たしたのが、開発を担当した日野晃博率いる福岡の開発会社レベルファイブであった。彼らはドラクエのインターフェースをFFに近い方向へと現代化していきつつも、それでもテクスチャ面ではFFとは一線を画す、アニメタッチのルック&フィールをもった王道感のあるRPGとして、DQ8を現実的な納期で完成させることに成功した。

連綿と続いてきた国民的シリーズの仕様を大きく転換させただけに、DQ8は「これがドラクエである必要があるのか」という古参ファンからの反発を避けられなかった作品ではあった。しかしながら、ポピュラリティのある低年齢層寄りRPGとしての完成度は申し分がなく、のちに児童向け作品の雄となるレベルファイブの出世作になったという位置づけは重要である。そうした新勢力台頭の発射台となったことこそ、本作の最大の史的意義だと言うこともできるだろう。

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9-12 ゲームエンジンのオープン化が駆動したFPSの隆盛

日本のゲームが、3DCGの時代に入っても2D時代からのゲームデザインを踏襲しつつ、ストーリーやキャラクター表現などの細部を拡充・複雑化させていく大作シリーズか、ワンオフ的な職人芸やゲームデザイン上のアイディアの新奇性で勝負する佳作に二極化して進化の袋小路に突入していく一方、アメリカを中心とした海外では、テクノロジーの進歩を直接的に投入するかたちでの右肩上がりの成長がリニアに継続していた。とりわけ「DOOM」や「Quake」で確立したFPSというゲームデザインは、本質的な骨格はタイトルによってほとんど変わることがなくとも、PC自体の急激なスペックアップに合わせたグラフィックや処理性能の向上を、身体的に実感できるベンチマークのような花形ジャンルとしてスタンダード化してゆく。

メルクマールとしては、閉鎖空間内での撃ち合いだった「Quake」に対して広大なフィールドを舞台にした「Unreal」(エピックゲームズ 1998年)や、単なる撃ち合いではなく一人称視点でできる高度なストーリー表現を追求した「ハーフライフ」(バルブソフトウェア 1999年)が登場し、やがてこのジャンルの3大シリーズと称されるようになるタイトルが、1990年代後半には出揃っている。いずれも始祖の「DOOM」がそうだったのと同様、3Dでの空間描画や物理演算など、ゲームの基幹部分を構成するプログラムエンジンがオープン化され、多くの個人や他社にもライセンス供与されて利用された。単体タイトルに投じられた開発成果がそれだけに留まらず、汎用フォーマットとして共有されて裾野を広げるモーメントを持っていたことが、このジャンルの強みと言えるだろう。これらのゲームエンジンを基盤に、ユーザーが自主制作したMOD(Modification)と呼ばれる改造データの集積が製品化されるケースも登場し、例えば「ハーフライフ」のエンジンを流用しながらオンライン対戦に特化した「Counter-Strike」(バルブソフトウェア 1999年)がジャンル史的なインパクトを残している。

FPSがこうしたスケールメリットを獲得した背景には、日本とは異なりPCゲーム市場全体が健在であったことや、ハッカーコミュニティの裾野の広さなどが、直接的な要因として挙げられる。ただし、より根底的な条件を問うなら、ゲームの「仮想現実」世界の構築において、実写的・自然主義的なリアリズムを志向する西洋近代型の遠近法的な空間認識が、われわれ日本人が想像する以上に強固な規範として根を下ろしている比較文明論的な前提を無視することはできないだろう。つまり、ゲームを進歩させる方向性として、「人間が知覚する現実そのものと見分けのつかない「見たまま」の体験に可能なかぎり漸近すべきである」というシンプルな理念が作り手と受け手の双方で自明に血肉化されているために、多くのディベロッパーが同一の方向を競って追求することについて、彼らには一切の迷いがない。

翻って、日本国内のうるさ型のゲームマニアやエッジの立ったクリエイターたちは、宮本茂や飯野賢治などに典型的なように、えてして「美麗な3DCGの進歩は、ゲームそのものの面白さの本質とは関係ない。むしろ2Dドット絵時代のようなローテクな創意工夫の積み重ねによって、誰も見たことのないシステムや視聴覚様式を発明し、多様な遊びの体験を発明し続けることこそが望ましい」といった美学を抱きがちだ。こうした意欲が、1990年代の国産ゲームソフトのカンブリア爆発を促してきたのはこれまでの章で見てきた通りであるが、言うなれば常に個々の作り手たちが、1シリーズごとにリスクを背負って唯一無二の破壊的イノベーションを起こし続けねばならないという強迫観念に等しい。実際的にはそれは、2000年代前半には「ガンパレ」や「塊魂」などを最後に息切れを起こしたという結果からみれば、長くは持続しえない夢想に他ならないものだった。

FPSを中心とする2000年代の洋ゲーでは、そうした袋小路に陥ることなく、現実の物理法則という普遍的なレファレンスに準じたゲームエンジンによって、基本的な体験生成のシステムを規格化。その上で、バックストーリーの題材やビジュアルの質感、ゲームとしてのルール設計やレベルデザインの違いといった面での個性化と漸進的イノベーションの余地を残し、個々のタイトルがしのぎを削る競争環境が整う。こうした効率的な水平分業がなされたことで、和ゲー市場の停滞とは対照的な、持続的成長の礎が築かれたのである。

このようなFPSの発展は、プラットフォームがパソコンであるがゆえの開発環境の柔軟さや更新のしやすさによって支えられてきたが、WindowsOSの元締めであるマイクロソフトがXboxで家庭用ゲーム市場に参入したことで、さらに状況が変化する。XboxにはDirectXなどパソコンと共通のゲーム開発環境が導入されていたため、パソコンゲームとの相互移植のハードルが大きく下がったのである。

従来コンシューマー機では、キーボードとマウスで移動と照準を分担する操作系がゲームパッドになじみにくいこともあり、N64の「ゴールデンアイ007」(レイ 1997年)のような先駆例の他は、FPSのヒット例は少なかった。しかし、マイクロソフトがバンジースタジオを買収して、Xbox用のキラータイトルとして2001年に「Halo」をリリースし、世界的なヒットに導いたのを皮切りに、「バトルフィールド」(DICE 2002年)や「コールオブデューティ」(インフィニティ・ウォード 2003年)など、本格的に人気シリーズの移植やオリジナル作の制作が行われていくようになる。

この時期のFPSジャンルのメジャー化・大作化の流れの中で、とりわけゲーム表現の深化という観点で大きなインパクトを残したのが、2004年に登場した「ハーフライフ2」(バルブソフトウェア)であろう。本作に投入されたゲームエンジンは、フィールド上の物体の重量までシミュレートする高度な物理エンジンや、登場キャラクターの表情を緻密に動かすフェイシャル・アニメーションなどの実装により、ゲームになしうるフォトリアリスティックな表現を格段に引き上げ、以後のゲームの技術的なスタンダードを確立する役割を示した。

のみならず、これは前作「ハーフライフ」の時点で確立されていた手法ながら、本作は多くの「映画的」ゲームが採用しているプリレンダリングムービーなどによるカットシーン演出の類を一切排除し、いかなる時点でもプレイヤー=主人公の視点での自由な操作権を妨げることなく、一貫したストーリーを体感させるという表現姿勢を、最大の特徴としている。つまり、ゲームの開始時点からクリアに至るまで、眼前に現れた人物が語りかけてくる台詞や、街中のモニタなどからアナウンスされる情報、否応なく主人公を巻き込んでくる敵襲など、徹頭徹尾、主人公がリアルタイムに見聞きする状況の連なりのみによって把握できるよう、物語が細部の経験の集積として設計されているわけだ。

同じFPSというジャンルを構成する多くの作品の中でも、ここまでストイックに「一人称」のリアリズムを貫徹するケースは稀である。これは日本ゲームのケースに置き換えれば、例えば「他人の物語」たる「FF」に対して、主人公キャラが喋らなかったりパーティーキャラがAIで自律的に行動することで「自分の物語」としての没入感を醸し出そうとした「ドラクエ」的な思想を、インターフェースごと極限まで追求した場合の究極像とも考えられるだろう。

以上のように、一部の洋ゲーマニアを除いた多くの日本のゲームファンがほとんど感知しないうちに、FPSは新たなグローバルスタンダードを確立していたばかりか、西洋芸術の空間理念やナラティビティの極致としての洗練すら帯び始めていた。かくして、「スペースインベーダー」以来のアクロバティックな快進撃は終わりを告げ、アメリカ式のFPSをはじめとする洋ゲーの合理主義的な開発体制に押されて、2000年代の日本ゲームは急速に世界市場における存在感を失っていく。

その光景は、さながら太平洋戦争期の零戦からグラマンへの覇権の移行を彷彿とさせるものでもあった。そしてゲームのみならず、多くの産業分野で国産技術の「ガラパゴス化」の弊害が取り沙汰される同様の図式が、「失われた20年」下の日本では次々と反復されていったのである。

現代ゲーム全史

要約

ChatGPTに要約させてみたがニュアンスが抜け落ちてしまうので、そのまま引用する。

続く。


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