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ネットでの誹謗中傷について思うこと

女子プロレス「スターダム」に所属する木村花選手が亡くなった。死因は発表されていないが、人気番組『テラスハウス』に出演していた彼女に対してのネット上での“誹謗中傷”が原因なのでないかと推測されている。


ネット上での誹謗中傷は日々、あらゆる所で繰り広げられている。Twitter、InstagramなどのSNSから、ヤフーニュースなどのニュースサイト、YouTubeなどの動画配信サイトまで。人が簡単に言葉の力で人を傷つけることができる場所が増えた。


ネット文化が浸透したことにより、人間誰しもが持つ「負の感情」がより表面的に現れる時代。嫉妬や過ちを犯した人に対しての行き過ぎた正義感が、これまでよりも攻撃的に、そして直接的に対象者に振りかざされる。そんな時代に自分たちは生きているのだと、悲しい事件が起こるたびに身につまされる思いだ。

乙武洋匡さんが今回の件に対して執筆されたnoteに、以下のような文があった。

いじめは「加害者」と「被害者」と「傍観者」の三者によって成り立つ、と。
そう、私たちは“傍観者”だったんです。大多数で寄ってたかって石を投げる現場を目にしながら、「やめなよ、そんなこと」と言えなかった私たちにも責任があるとは言えないでしょうか。

自分は正直、『テラスハウス』も見ていないし、彼女がこのような誹謗中傷に晒されていたことも知らなかった。だが、今回の件に限らず、日々繰り広げられるネット上での誹謗中傷に対して、“傍観者”としての自覚があったのか、そして、“傍観者”として何かできることはなかったのか。


そこまで考えることができていたのかと自分に問いただすと、答えはノーである。どんな物事に対しても、「自分もその問題の中でできることはないのか」と自分ごととしての視点を持つこと。その積み重ねがどんな出来事に対してもただの“傍観者”に終わらず、自分を省みることにつながるのではと思うのだ。


人が見知らぬ人に傷つけられ、傷つけた人をさらに見知らぬ人が傷つける。そんな悲しくてうんざりする世界に生きながらも、その中で自分が果たせる役割は何なのか。これ以上今回のような悲劇が繰り返されないために、考えることを止めずにいたいと思った次第。


最後にですが、木村選手のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

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