ワーママって呼ぶなら、ワーパパって呼ばせて。
ワーママという言葉を自分に向けて使われると
なんとも言えない表情をしてしまう。
仕事をしているママ
仕事をしていない(専業)ママ
を分けるための便利な言葉かもしれない。
それは別に良いし、どうこう言うつもりもない。
使う側に悪気はないだろうし、分かりやすい。
私が言いたいのは
ワーママの数だけ、ワーパパもいるだろうよ!
いるよね?ね、お願い。ということである。
workingだけの文字を見ると
大人が生きているということは
恐らくほとんどの人が働いているだろうから
working humanだね!と思ったが
perfect humanを思い出したのでこれ以上の思考はやめておく。
workingにパパ、ママをつけなきゃいけないシーンがなくなることが本当の意味での働きやすい社会、なんだろう。
娘が大人になる頃には死語になってて欲しいと願う。
そもそものワーママの意味が気になり調べてみた。
きっと世間一般の解釈が以下だ。
分かってはいたがこう見ると
ハードルの高い、圧のある説明文。
私なりの解釈はこっちだ。
両立なんぞは置いておいて
どちらも汗をかいて、予測不能な事態に向き合っている。そんな解釈が普通な社会になってほしい。
そして気づいてくださった方がいたら嬉しい。
家事・育児、仕事という分けかたではなく
家事、育児、仕事がただ並んでいて
立ち位置も比重も人それぞれ。
その割合は変化して当たり前だし、
何がメインとかサブとか仕事中心とか家族中心とか、誰かを参考にしなくてもいいと思う。
私自身、20代後半から憧れのロールモデルを探そうと躍起になっていた時期があった。
でも30代半ばになり薄々気づいている。
ロールモデルなんて意味がない。
他人の人生を基軸に歩こうとしても、自分の道は自分で選ぶしかないし、歩いてきた道も違うから。
憧れは憧れのままに、自分を支点に歩いていくほうがきっと後悔はないはずだから。
もし、ワーママって大変だね!と
言ってくださる人がいたら
ワーパパもいるんで大丈夫です!
と笑顔で返してみたいと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?