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わからないものをそのままにしておく勇気(目的・ゴールワールドからの卒業)

何か自分に新しい変化が起こるときって、共通点があります。

Mtgで熱く議論してる最中、だらーっとTwitterのフィード眺めてるとき、麦茶片手に長風呂してるとき、同僚から良いよ〜と勧められたビジネス書を読んでるとき、などなど、タイミングを選ばず、周囲のいろんな、でもそれぞれは無関連な人やコトが自分に同じメッセージを発してくるように感じます。(あの人からも、この本にも、同じこと言われてる…!!みたいなことないですか?)

それが、今の私にとっては、長年慣れ親しんだ「目的・ゴール」世界ではない、違う世界の存在を感じてる、という話です。

はっきりチームとふわふわチーム

今、私の頭の中では、仕事をすごーーーーく簡易化すると、二つの要素(①はっきりチームと②ふわふわチーム)が出現しているのですが、

①サイドで成果を出すことから、②領域に気付き始めているという感じです。(全てが①②どちらかに分けられるという二分法的・二項対立的ではなくて、あくまで、要素のイメージで、どちらの方がより多く含まれているか、という意味で使っています)

MUST OSで動いていた私

社内でのチームビルディングの取り組みで使っている、自分の強みを全34項目の中から教えてくれるストレングスファインダーというアセスメント?があるのですが、私は過去2回(2009年、2014年)ともに一位が「回復志向」。つまり、問題解決をごりごりまわすことに強みを発揮する人でした。(「○○のためには、○○すべきだ!」と、自分にも周囲にもよく言っていたかも。)

それが、去年受けた時には回復志向が姿を消していたこともなんだか示唆的です。

さらに、前職で若手の育成担当をしていた時に、最も好きだった研修がその名も「目的・ゴール研修」だったし(内容もとても実践的で何度もおさらいしては自分の仕事にも活かしてた)、私の口グセは「なんで?」で、同僚とのちょっとした雑談、例えば「最近、山登りに興味持ち始めてさぁ〜」にも、「なんのために登るの?どうしてそう思ったの?」を教えてもらえないと気持ち悪い(そういう私が気持ち悪い)です。

仕事は全て①サイドの世界の話だと(なぜか)頭っから信じて疑っていなかったのですが、近ごろ②の要素が増えていく世界に(なぜか)足を踏み入れたようです。

簡単!すぐできる!ふわふわチームに慣れる方法

いきなり②含有量が増えると、目の前のコレはなんのためにやっているのかわからないー!どうしたらいいのかわからないー!!キャー!とあたふたしそうなので(実際既にあたふたしているかも)、徐々に②に慣れられるような、でもすぐトライできる練習方法を考えました。

<練習方法>
(1)Just Talk,No Answer.
(2)自分を捨て、目の前のことに没頭してみる。

練習(1)Just Talk,No Answer. 

とにもかくにも、私は人と話をするとき、話を聞くとき、それってこういうことですか?こうしたらいいということですか?とか、問題となるところ見つけて、すぐに解決しようとしてしまいます。知りたがり!!解決したがり!!(それで鮮やかに解決できればかっこいいのですが、あまり行動が伴わないのが、かなりの残念ポイント…!)

でも、前の記事にも書きましたが、すぐにこれってこういうことだよね、とやると、焦って本質を取り違えたり、大きな変化の流れを見逃す可能性があります。

何か起こった事象に対して、それが何たるかを決めつけずに、まずは関わっている人たちで話す。目線あわせをする。多角的に見方を味わう。話すだけ。
そこに、課題や問題、解決方法や答えはなし。

わからないものを分かる形にすぐに変容・説明化するのではなく、そのまま置いておく。

、、、簡単って書いたけど…
う・・・怖い・・・
事象をそのまま、わからないものをそのままとして置いておくことって怖い・・・
新世界、勇気が試される…

練習(2)自分を捨て、目の前のことに没頭してみる。

なぜやるべきなのか?どこに向かっているのか?
もちろんそれがわかっているに越したことはないのですが、自分よりも視座が高い人、より世界の解像度が高い人には理由が知覚できていても、私には見えない、わからない、ということがありそうです。
そしてそういうときに、相手がふわふわ論法でなんとか状況を表現してくれようとしても、私側はうまくキャッチしきれないかも…

②要素が強いものは、委ねてみないとわからないという性質になりそう。
何たるかはわからないけど、ゆだねる…??
こ・・・怖い・・・

よく聞く、「ごちゃごちゃ言わずにとにかくやろう!」みたいな類のことには、もちろん頭ごなしに言うことを聞かせるという行為に抵抗はあるし、内容によりけりなんだけど、一部筋が通っているときもあったのでは…と、社会人になりたての、何でも説明を求めていた自分を振り返ってゾッとします。

スタジオジブリ 鈴木敏夫さん、クラフター 石井朋彦さん、クラシコム代表 青木さんの鼎談記事にも同じようなことが。

https://kurashicom.jp/4497

石井
ジブリに入って真っ先に「目的意識を持つな!」って鈴木さんから言われました。「とにかく先のことを考えるな」と。僕は人生には絶対に目的が必要だと思って、それまで生きてきたのに。

鈴木
僕は人生や仕事の目的を持つのが下手だったんですよね。めんどくさいっていうかね。だから、やっているうちに何かへ近づけばいいし、なぜ目的は必要なのか……って。

石井
「なぜ、そんなことを気にするんだ。それは、お前が今、何か出来ることなのか」って言われるわけですよ。もちろん、出来やしない。だから「お前は目の前のことをまずやれ。それで、次のやることが決まったら言うから」と。

先のことを考えたり、将来の不安みたいなことを思うと怒られる。目の前のことをやっていると、褒められはせずとも、怒られませんでした。

どっちがいいか?どうしてか?って言葉で説明するには限界があるから、「なぜやるべきなのかを教えてください」じゃなくて、理由が今はわからなくても委ねたいと思う人や環境なのか、何となく自分が心地よいと感じるのかどうか、が大事なのか…?

ここまで書いて少し気づきましたが、私は、自分を(そして周囲を?)完全にコントロールしたい、と思いすぎていたのかもしれないです。
もちろんそれは、決められた範囲内である程度予測可能性が高いものに向かっていくにはフィットしているのですが、今いるクラシコムという環境も、もちろん今の全世界が、予測可能性が高いものなんてないです。よく考えれば当然だけど。

自分を完全にコントロールして、決めた目的に従って、想定するゴールを達成するために正しく生きる、というだけでなく、心地よく生きる方(クラシコムがいつも言っている「フィットする暮らし」も同じかな)をチャレンジするのだ・・・・
それが新世界だ…

今の私にとっては怖く感じてしまうけど、そっちの方が、きっと生きやすいし、心地よいし、いい匂いがしてくる・・・気がする・・・

難しいことを考えていたらぼーっとしてきたので、麦茶片手に半身浴して、ジョジョ第5部読みます。

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