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呼称、それは恋にも似た内心の格闘

中学時代の冬のある日、きょうのように炬燵に寝っ転がり、「ナニコレ珍百景」という番組を観ていた。その回では、だいたい米寿の高齢女性が地区の徒競走大会で披露した、それはそれは矍鑠かくしゃくとした走りを特集していた。
一部始終を見届けたぼくは慌てて炬燵を飛び出し、床に正座した。

内心張り上げた「ナニコレ」の雄叫びを境にぼくの生活は見違えるほど変わった。
毎朝5時に床を飛び出し、住んでいる団地内でランニングを始めたのである。
それまでは7時に起きるのさえ厭わしく感じていたのだから、米寿レディの影響力がいかに甚大であったかが分かるだろう。

夏の盛りでもとっぷりと暗い早朝に外を出歩くと、よく分かることがある。
お年寄りの活動開始が恐ろしく早い。5時には必ず庭に這い出している。
手製のテーブルに肘をついて煙草をくゆらせていたり、草を抜いていたり、ワキを欠伸まじりに掻いていたりと行動の実態はさまざまだが、おしなべて朝が早い。

さっさと動き出すお年寄りの目に、幼い生きもののランニング風景はどう映るか。
概して、殊勝に映る。健気におもわれる。かわゆいと考える。つまり孫である
最接近するタイミングを見計らって、「いいねぇボク!」と呼び止める。

ただ挨拶したいがために「ボク!」と声をかける人もいるが、大半は、ちょっと話に付き合ってほしい人である。パックに詰めた徳用菓子を幼い手に握らせて庭先に呼び寄せてみたり、「ボク、将棋知ってっか?」と手招きしたり。
ぼくの走り回る姿が見えるなりあっけらかんと「おぉ!」と驚いてみせるけれど、菓子袋や将棋盤を懐に抱いて窓から覗いているのだから予想の範囲内に違いない。

早朝ランニングを始めたとはいえ、さしたる目標を掲げていたわけではないので、喜んで彼らの招きに応えた。すると畢竟どんどん好かれ、どんどん親しくなる。
30分ぐらい机を挟んでしゃべることもしばしばである。

人と話すからには、呼びかけるときの言葉が欠かせない。

団地で出合うお年寄りのほとんどが男性だから「おじさん」と呼ぶことも考えた。
『獣の奏者』シリーズ主人公のエリンの命の恩人ジョウンが「ジョウンおじさん」と呼ばれていたように、親しみを籠めて。
しかしどこか照れ臭く、いつも表札で見た苗字に敬称の「さん」を添えて呼んだ。

中学生のときに呼びそこなった「おじさん」。
使うか使わないか逡巡し、結局諦めるうち、いつしかその言葉はむやみに希少性を高めた。親密になるためのおまじないを知っていながら秘めているような罪悪感が頭を悩ませるようになった。あなたを「おじさん」と呼びたくて、でも、でも。

叔父が複数人いるから「叔父さん」と呼んで不満のガス抜きすることもできない。
小川洋子の小説『ことり』の主人公が周りの人々から「ことりの小父さん」と呼ばれているのを読んで、嫉妬に似た感情を覚えた頃には朝ランニング習慣なんてどこへやらの大学生になっていた。

大学生。そろそろ「おじさん」使用期限である。
いや、厳密にいえば使えないこともないが用例としては「ボク、オジサンだから」という哀愁ある表現に限られてくる。ぽてぽて団地を走っていた「ボク」が誰かを「おじさん」と呼びたくて長年うずうずしてきて、ようやく手立てを見つけて喜び勇んで呼びかけたらその「誰か」が自分だったとは。寝床で千年悶える悲しみだ。

『獣の奏者』や『ことり』に触発された「おじさん」ドリーム。
抱きかかえたまま中毒死するのが嫌ならば、打つべき手は二通りある。
ツマラナイカラヤメヨウとまで考え抜くか、いっぺん蛮勇を奮って呼ぶか。

親しみを籠めるつもりでいるが、親しみが相手に伝わるかは分からない。
目的の対極であるブジョク表現として捉えられてしまっては本末転倒だ。
綺麗事一色のドリームでは済まないからヤメヨウ。そう諦めるのが一つ。
姓・名に敬称の「さん」をつけるだけでは駄目なのかと考えるのもいいだろう。

しかし、根拠のない夢想だったとはいえ長年くすぶってきたことには変わりない。
だからいちど使ってみてから考えるというのが一番肌に合っているかもしれない。
団地内のお年寄りの大半は朝ランニング時代から十年を経た今なお驚くほど矍鑠で、大学に進んだ今もハツラツとぼくと接してくれる。
傾向として各人みな懐が深い気がするから「おじさん」コールしてもいいかしら。

恋い慕っている女性に秘めたる想いを打ち明けるのにも似た葛藤である。
「おじさん」と呼ばなくてもぼくたちは団地内の知己でいられるのに。
だのにぼくはあなたを「おじさん」と呼びたくて、夜な夜な、ああ。


今宵もまた、呼称の湖沼の深みに悶えて暮れゆくのである。
オジサンのギャグ、ではないはず。まだ。





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