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土砂日記 四 のんびり贅沢

5月9日。

朝7時ごろ寝床から這い出し、父の出勤を見送るかたがた30分ほどランニング。高台の団地内をぐるりと一周したのち坂を下り、近年整備された公園に入りトラックを10周するルートだ。朝ランニングの習慣は、毎日早朝に活動する高校放送部に入った時期に失われて久しかったが、今月を迎えてから復刻した。好きなひとが朝も早くに起き出してお茶を啜ったり針仕事を楽しんでいるのを羨んだのである。
復刻まもない日々は9時に起きるのさえ絶体絶命のありさま、朝7時に走るなんてまったき無理難題だったが、このごろは目覚まし時計を待たずにさっさと目が冴える。早いときは5時すぎに動き出している。ほんの数日まえまでできなかったことをも貪欲に習慣化できる身体のポテンシャルに気づかされたし、すぐに感化される奔放すぎる軸とか、ロマンスのもてる劇的な作用をも痛感した。
公園には、茶色、というよりブラウンの豊かな毛並みの大型犬が走っていた。リードを掴んで離さないだけで精一杯の飼い主が、市中引き回しにされる罪人のようにあとにつづく。犬を連れたひととは毎朝すれ違うが、同じ犬と会うことはまれだ。歩くのもやっとで、一歩一歩跳ねるように進むちいさな老犬もいれば、公園のトラックに囲まれた緑地の草花すべてを覗き込み、嗅がねば気が済まないような若々しいのもいる。そばを走るとみな一様にこちらの目を見据えてくる。
団地の坂を下るときカーブがうまくいかなかったか、左膝をわずかに故障し帰宅。

11時、電車で仙台入り。内田百閒『阿房の鳥飼』を読んだり、好きなひとからの返信に胸弾ませたりしているうちにランニング由来の眠気を催し、すわと跳ね起きたときにはとうに仙台に着いていた。口をぽっかり開け放って眠りこけた感触が口角まわりにあり、ばつが悪い。
美容室を予約していた14時まで時間があったので青葉区八幡の書店「曲線」を再訪する。1000円あまりの所持金で足を踏み入れるとそこここで歯ぎしりしたくなる品揃えがきょうも広がっている。買うか買わぬかはひとまずおいて立ち読みした。図案家モノ・ホーミーの線画集は、点描と線描とが織りなす多様な紋様に富んでいて、色彩によらないあたらしい表現を学びたかった矢先のぼくは、いたく感じ入った。有り金で買うこともできたが、きょう選んだのは古本の文庫本を2冊。平野紗季子の『生まれた時からアルデンテ』とシュトルムの『みずうみ』(関泰祐訳)。後者は、恋する者の悶えをえがく(いまわが身にとってホットな)筋立てと、みずうみという題名に、とある縁を感じて手に取った。茨木のり子の詩の一つ、人間の魅力の源泉をえがく「みずうみ」について、これまた好きなひとと話していたところで、何かにつけ浮き足立つぼくは同タイトルというだけで発奮した。
そして前者、『アルデンテ』。よくブクログで見かける書名、そして書影だったがはじめて立ち読みした。食を果てしなく渡り歩く筆者の言葉から発せられる強烈な光は、費用を惜しむあまり、もっと奔放でありうるはずの食欲を我慢してきたぼくの姿をぶわりと浮かび上がらせた。脳裡によぎるは檄文のような、あの曲。

「贅沢は味方」もっと欲しがります負けたって
勝ったってこの感度は揺るがないの
貧しさこそが敵

♫ キラーチューン/椎名林檎

食事が連れていってくれる遙かな境地を今一度思い出すため、そして思い描くために『アルデンテ』は最高のよすがと見た。金はなくとも精神は高貴でありたい。

藤崎そばの美容室easyにて散髪。
ぼくはいま某ホテルでフロント係としてアルバイトしており、いっちょそれっぽいスマートな髪型になろうじゃないかと目論んだのである。髪型に限らず、なりたいイメージが希薄(あっても「スマート」とか「さっぱり」とか)で、議論や言語化するなかで徐々に朧な理想を組み立て共有するのが身に合っているぼくにとって、時間をかけて話に付き合ってくれる美容室は心地よい。easyも然り。
新宿歌舞伎町のキャッチ事情の講義を仰いで恐縮しているうちに店長の鮮やかな手つきでカットからシャンプー、顔剃りまで終わり、なるほどスマートに仕上がっていたので鏡に身を乗り出して見入った。つぎの出勤が楽しみだ。

店を出ると、藤崎まえのアーケード通りで怒号に似た大音声が轟いていたので何事かと思えば暴徒化した高校生諸君が壮麗なお神輿を担いで快哉を叫んでいた。仙台一高二高の伝統的行事、いわゆる定期戦の一環だろうか。そこから少し西に向かった大町西公園まえ交差点でも多数の暴徒に接近遭遇した。北から南へと仮装行列が猛烈な速さで駆け抜けてゆく色とりどりの突風は、100メートル以上隔てた場所でもまざまざと視認でき、足がすくんだ。「若いひとはいいわね」なんぞと見物客のマダムが悠長にのたまっていたが、本気で言っているのかと信じられない。

つづいて一番町へ、スニーカーを買いにセレクトショップsalonを訪問。
まえに知人を連れて訪れたさい、フィンランド発のスポーツブランドKARHUのスニーカーに心を奪われていた。白を基調とした軽やかなデザインにたがわず、どこまでも歩いてゆけそうな非常に軽量なつくりであることに加え、表面の何箇所かにあしらわれた同ブランドの白熊のロゴマークも注意を誘った。シンボルとして単純化されたフォルムが滅法かわいいのだ。そのときは踏ん切りがつかず「検討しますわ」にとどめたが、結果ゴールデンウィークの間じゅう絶えずスニーカーのことを考える羽目になった。恐るべき一致で、好きなひとが白熊のラインスタンプを使うので白熊が目に触れない日はまったくなかった。甘味処に立ち寄ればお品書きの「しろくま」に視線が引き寄せられるほどに事が及び、ついに、美容室でキリッとした流れで買おうと決めた。
「決心して偉い!」快活な笑いがすばらしい店員の女性に迎えられ、つられて口角がゆるむ。草木も奮い立つような好天だったので買ってすぐ履いて帰ることにした。呆れるほど寝ても醒めても想いを寄せていた白熊スニーカーだったが、改めて足を滑り込ませても今一度新鮮な驚きに打たれた。いい色、軽い、かわいい。

太白区長町へ向け南進。途中、広瀬川に立ち寄る。
折り畳み傘をかわしてリュックをしとどに濡らすほど猛烈な雨の日も、一足進めるだけでやっとなほど降り積もった雪の日も、巻き起こる砂塵や花粉に目を開けていられない風の日も、熱中症の症状のひとつである虎柄模様が視野にゆらめくほど暑い日も、しゃにむに走っても般若心経を絶唱しても埒があかないほど寒い日も、論文を一文字も書けないほど病める日も、はたまた森羅万象すべてに万歳三唱したくなる健やかなる日も、閑があらば広瀬川河畔には必ず足を運んでいる。
歩いて通り過ぎるだけでも心に酸素が送り込まれる気持があるが、ベンチにひっくり返って青空のもと眠るのも楽しいし、石段に腰かけて鳥を眺めたり物思いに耽ったりするのも楽しい。きょうは読書。『アルデンテ』を読む。

川べりを吹き渡る風に冷気が混じってくるのにあわせて歩き出す。
長町駅と太子堂駅の間にあるホームセンターコーナンで観葉植物を見た。きょうの土砂日記になんどご登場願ったか定かでない好きなひとが家でたくさんの鉢を栽培しているとの由聞きつけ、やっぱり深く感化され、コーナンにやってきた。
隆々とした幹から大きな葉を伸ばしているクワズイモなど、そそられる大型の植物がたくさんあったが、わが家には猫がいることを考慮し自制。というわけで選んだのは吊るせる鉢に植えられた小さな観葉植物、プリムリナ・リトルドラゴン。
花言葉は「永久」「不滅」。セゾンカードのごとし、頼もしい。
右も左もわからないが、綿密な世話を要するものではないとのことなので安心。
当座の目標は紫の小ぶりの花を咲かせることとしたい。続報待て。

『アルデンテ』のせいで電車を乗り過ごし、折り返しの電車を待つ時間も『アルデンテ』を読み、家に帰っても『アルデンテ』を読んだ。すっかりハマった。
夕食時には著者平野のYouTubeをみた。食べもののお取り寄せ、思えば、自分のためにほとんどしたことがない。どうも食べものを誰かとの関係を媒介するものとして限ってしまっていたかもしれない。自分の満足満腹満悦のため買ってみようか。

お風呂上がりにはモノ・ホーミー作品からのインスピレーションやみがたくなり、点描を習作した。色つきポストカードに新調した白ペンで描いたらとてもいい発色をしたので歓喜。栞をつくって古本屋の店頭で勝手に売ってみるかなどと妄想。
8日にはカエルの点描作品をこしらえた。もっともっと産み出したいものだ。




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