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コンプレックスの事

よく指摘されることがある。
「自分を卑下しすぎてる」
「謝りすぎている」と。。

たしかによく言われているように、自分を謙りすぎることは同じように該当する周りの人に、かえってつらい思いをさせてしまう形になるのだ…と。
…その通りなのだと思う。

つい言ってしまいがちな
「私なんか」「もう○○だから」
「私のような者に」。
なんとか意識して減らそうとしている。



ただ、これらの言葉を使っている時というのは、私の場合、とにかく『私の中』だけのことなのである。
「自分より下はもう無い」としか思っていない。
自らの時間軸に閉じ込められ、コンプレックスでいっぱいいっぱいになっていて。。
自分と人を比べるマインドにはなっていない状況なのである。


比べる、と言えば、似ているものに
「〜に比べたら私は幸せ者だ」
という言葉があるが、私はこの心境にもあまりなったことがない。
だからこの慣用句は使いづらいな…と思っている。

私が「幸せだな」と感じた時は、ただひたすら私の中だけのこと。
本当にそれだけなのである。



言葉の選び方・使い方にはシチュエーションがあって、時代によって意味が変わってきたり、受けとる側のパターンというものも変遷があったように思う。


例えば「かわいそう」という言葉は長いこと素直な思いやりを指すのみであったけれど、今に近づくにつれて、あまり言ってはならない“憐れむ”言葉に変化してきた。“相手を下げる”意味合いが濃くなってきたように思う。

(戦時中の動物園の実話「かわいそうなぞう」など、素直にその意味が受け取れる絵本が今でも多く読まれているはずだ。そのことも踏まえて。。)

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