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部活動の本質

そもそもラクロスやる理由ってなんですか?

僕はこの問いを皆さんに投げかけたいです。

みんなにとって、ラクロスが本当にやりたいことなのか、もっと他にやりたいことがあるんじゃないか

ラクロスをえらんだ理由について、僕の話を少しします。

簡単に纏めますと以下の2つ

・部活をやったほうがいいっていう洗脳にかかっていた
・シンプルに人が楽しかった

これなんですね
で、これに気づいたのは引退してからです

人が楽しいというのは言わずもがななので、洗脳について僕なりの考えを説明します。

まず先に言っておきますと、この部活に入ってる人のほとんどが部活をやると優位になれる教に入信してます。

部活に入ると就活に有利、部活をやることによって自分を磨けてる、週5日毎朝4:30起きしてる自分が他の部活やってない人より偉いんだ
と思ってる人が多いんじゃないかなと思います
因みに僕もこの信教に入信してました。

そもそも日本の教育のあり方に問題があると思うんですが、中学のころから部活に入るのが当たり前になっていますよね。場所によっては強制的に入らされるところもあります。部活に入ったほうがいい、部活に入ると生活が充実する、と。そう教え込まれました。そしてそれを疑いませんでした。部活に入って楽しいと思うことがたくさんできましたからね。この時点で洗脳が完了されています。ゲームがしたいから、漫画が読みたいから、アニメが見たいから、練習を休む、部活に行かない、部活をやめる。そんな人たちをみて、僕は罵倒して軽蔑していました。部活もまじめにできない奴はくそだと。

ですけど、そうやって自分の感情に嘘をつかず行動して、楽しいと思えることに熱中するって素晴らしいことじゃないか。って考えるようになりました。やりたいこととか好きなことに取り組んで、取捨選択を取れる勇気を僕は尊敬します。僕の場合、たとえ他にやりたいことがあってもやめるという決断を取ることができません。コミュニティから外れる勇気が僕にはないからです。

実際に高校に上がってみんなが放課後遊びたいから、勉強したいからという理由で部活をやらなくなり、僕もその放課後遊ぶ生活に足を踏み入れながら部活を続けていました。今思うと部活が厳しくなかったことから、部活だけでなく遊ぶ生活も同時にとれたんだと思います。そういった少し緩めの環境に入れたことがよかったですね。ただ、やっぱり僕の中で、部活は正義だとか、部活をやることは偉いんだとかそういったマインドを持ていました。遊びだけじゃなくて練習も真面目にやってんだぞと。で、そのマインドを持ったまま大学に進学しました。

ラクロス部に入部した当初は今までと環境が違いすぎて辛かった。けどこの経験が後々活きると思って活動していた。そしてその考え自体は間違っていなかった、と今では感じています。

ただ、なんとなくなんですけど、今社会で活躍してる人たちは「大学まで部活動をやっていた」人ではないように思えます。

もちろん部活動をやってる母数が少ないのでこの結果は当たり前といえば当たり前なのですが

どうしても、世の中で活躍してる人たちは「様々な環境で右往左往してきた」人なのではないか?という疑問に僕は帰着しました。

これの続きは次の投稿に書きますが、部活動は所詮与えられる環境があってそこに身を任せるのがほとんどなので、結局考える機会とか失ってるんじゃね?っていうのが今の僕の考えです。

一個の部活に執着するよりも様々な環境に足を踏み入れたほうがよりクリエイティブなアイデアが生まれると、僕はそう考えています。

最後に、だからこそ言えることが、

【部活動の本質は幸福な時間をすごすため】

だと思います。

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