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お金を得るということ

それは、とても大事なこと。
そして、すごく難しいこと。
僕は、知っている。

過去2度、路上パフォーマンスでお金を得ようと試みたことがある。
今回は、そんな話。

「拙者親方と申すは~」

専門学校時代に覚えた「外郎売(ういろううり)」
一般的に滑舌の練習と思われ知られている口上だが、そうじゃない(諸説あるだろうし、もちろん滑舌の練習にもなるだろうが)。

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《 ↑ ほれ、こんなカッコイイ絵図をどうして滑舌の練習と割り切れる》

これは、外郎を売りたい人が、興味のない人に対して如何に惹きつけて「それ」を買ってもらうかという口上。
台本を如何に自分の言葉にして、昇華させて魅力的に表現するか、という、とても奥深い題材だ(と教わり、すごく腑に落ちた)。

まあ、ジャパネットタ〇タみたいなもんかな。

「外郎売りを披露して、お金取れるようになったら凄い」

当時、講師の先生に、そう言われて、恵比寿駅で何度か外郎売りを披露したことがある。独りで。
他の人に差をつけたくて、そういう芝居のアプローチは基本、独りでガムシャラだった。
仲間内の「ノリ」で稽古するのも嫌だったし(芝居に対して、そういう取り組み方をしていた、偏屈なA2Cちゃん)。

恵比寿駅、ガーデンプレイスの方、動く歩道を出たとこらへん。
日比谷線の乗り換えの方はビデオ屋もあったから、知り合いに見られるの恥ずかしくて、そっち側で。

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《 ↑ そうそう、こんな景色でしたわ。もしや、こっちの方が恥ずかしい?》

お金を稼ぎたいというよりは、自分がどう評価されるのか。
「外郎売」をどう昇華できるのか、そんな気持ちで挑んだ人生初めての路上パフォーマンス。19歳の夏。

0円でした。
なんなら0縁

夕方になって自分がダミーで入れた何円かが紙皿に残っているだけ。
昼に、食パンとバナナ、牛乳を買って飲み食いしたから実はマイナス

僕の「外郎売」に「お金を払いたい」と思う人はいなくて。
さらに言うと、足を止めて聴こうとする人と出会うこともなかった3日間。
「芸能関係者に声を掛けられて、一気にスターダム」なんてことを考えていた自分が恥ずかしい。

自分が続けることができた限界が3日間ぽっち。
それぐらいの根性しかなかった19歳の夏。

初日の方が、いいパフォーマンスしていただろうと当時を振り返る。
3日目なんて「3日はやる」みたいな謎の気概で立っていただけだから、やけっぱちだし、もう怖がっていたから、魅力なんて伝わらないよね。

3日目はゴリラかっていうくらい、バナナと牛乳を食べている時間の方が長かったと思う。どうせゴリラならウ〇コ投げつけた方が、誰か立ち止まっただろうね。

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《 ↑ 俺、ゴリラいつから好きなん? マリカーでもドンキー使っていたなあ》

表現するのが怖い

路上パフォーマンスに挑戦して、表現するということが怖くなった。
他人の視線、自分の価値、お金、時間、バナナ、牛乳。
自分で言うのもなんだけど、専門学校入所してすぐから、講師の先生方に一目置かれていて(たぶん)一緒にいろいろな現場で仕事させてもらったりしていたから、少しは自信あったのよ。
それが、ストリートだと、この有り様。
自分は如何に守られた中で、生活していたか思い知ったね。
専門学校の授業を1年半休んだことなかったけど、そのあとは苦しくて、ちょいちょい休んだね、悩んだねー。
「人間にもなりきれず、ゴリラにもなりきれない哀れな小僧(《もののけ姫》モロの真似しながら言ってね)。」

今思えば「怖い」を体験することができたのは大きな財産だが、とにかく落ち込んだ。
自力で「お金を得る」ということが如何に難しいか学んだ。

「外郎売」なんて聞くと特異に感じるかもしれないが、駅前でよく見かける路上ミュージシャンと同じこと。
週末とか、いつも演奏している人いるよね。
ああやってやり続ける根性、表現する覚悟に対してリスペクトしている。
多くの路上パフォーマーと出会って何人か投げ銭入れたけど、記憶に残っているのは3人。
お金を得られるのもすごいけど、記憶に残るのってすごいよね。

恵比寿で「外郎売」を披露していた僕の記憶ないっしょ?
黄色いジャージの長ズボンを履いて、古着屋で買ったバッファローがプリントされた茶色のTシャツ(お気に入り)を着た19歳の僕。
僕はそんなもんだ。

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《 ↑ この姿に憧れて黄色のジャージだった。今思えば左の方が似ている》

あと1度、路上でパフォーマンスしたことがある。
29歳の春。
2011年、東日本大震災のあと。
渋谷駅、モヤイ像からバスターミナルを挟んだむこう側で。

独り漫才をした。漫談ってやつか。

4月に石巻へ災害支援に行く前。
シェアハウスのみんなで集めたお金を、現地で出会った本当にいますぐお金が必要な人にあげよう、という資金集めのために。

その時、自分にできる芸は漫談しかなかった(のか?)。

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《 ↑ ちょうど真ん中の三井住友銀行の角、飲食街の入り口で。懐かしい。》

2時間で挫折。
もちろん成果はない。
19歳の頃より怖さが強くなっている気がする。

僕に足りないのは根性、覚悟だろう。
いや、そう言ってしまうと「漫談の才能はある」みたいに聞こえるかもしれないが、そうではなく、土台として足りていなかった部分ね。
加えて、漫談の才能もないんだから当然0円でした。

どれだけ心意気が良かろうと、パッションがあろうと「お金を得る」ということは一筋縄ではいかない。

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《 ↑ 「縄」で写真検索したら、結構キッコウばっかりでてきて焦ったわ》

39歳の秋、運命とは?

何に価値があって、何にお金を払いたいと思うか。
結構ずっと、そんなことを考えている。
そして「自分の価値とは」みたいなことも、ずっと考えている。

「もう映像一本でやっていけ」
映画祭に自主制作の映像を発表した時に奇天烈なじいさんに言われた。

「NYなら1000万で売れるよ」
ふんどし姿で写真撮ってもらった時に200歳まで生きる漢に言われた。

「本を書いて売る人になっている姿を妄想しています」
超変化球のダジャレを淀みなく押し付けた時に普通の人に言われた。

その言葉のほとんどは(押し付けられるダジャレを食い止めたくて絞り出てきたような)僕を喜ばせるためのジョークだと思うんだけど。
200歳の漢も、奇天烈なじいさんも、普通の人も融通無碍で純真無垢だから、ほんの少しでもそう感じたから出た言葉なんだろうとも思う。

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《 ↑ 奇天烈なじいさんも、他の2人も、只者ではない》
http://www.webdice.jp/dice/detail/4409/

《200歳まで生きる漢》
https://note.com/nomunii

《普通の人》
https://note.com/daikimurakamiii

こんな連中に、こんな風に言われて。
正直、嬉しいっすよ。

だけど、みんなが評価してくれる「それ」に踏み出せないのは、とにかく根性と覚悟がない。そして、あの頃の恐怖が根っこにある。
路上パフォーマンスで自分の価値を求めた、19歳の夏、29歳の春と現在も同じなんだろう。
そして、もうすぐ39歳の秋を迎える。

僕は、どうやら、ちょうど10年ごとに路上で自分の価値を試している。10年に1度、路上パフォーマンスをするという運命にあるのか? 
道頓堀、グリコを背にして、ちょっとやってみるか。

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《 ↑ 想像しただけで恐怖しかない。なに、この謎の運命。やる? なぜ?》

現在の僕が、どれくらいお金を得ることが出来るか、賭ける?
結局ギャンブルに行き着くんかーーーい!

つってな。

お金を得るって難しいのよねー。

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