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「自分のためだけに春巻きを揚げる」を5月の目標にする

田舎在住の農業専従者に「ワーママ」という言葉はいささか似合わないけれど、働き方はどうあれ仕事/家事/育児(小1、年中)をしているので立派なワーママだと思っている。そして、本業以外に自分の看板を立てたいと思っているのが今の私。私imoえんぴつのnoteでは、そんな自分の立場から気づいたあれこれを、テーマをしぼりすぎずに雑多にお届けしております。

4月が終わる。「振り返りnote」という言葉を知ったのはたかだかこのひと月ほどのことなのに随分過去のような気持ちになる。最初のひと月(31日間)は、毎日note更新をしていたのだけど、限られた自分時間の中で目標の本末転倒が起きそうだったので一旦「毎日note更新」を撤回し、約2日に1回のペースで更新を目指しているのがここ最近のこと。

ワーママ=時間のなさは言わずもがな。限られた時間を自分のスキルを磨く勉強、しかも1番目標に直結しそうな勉強に割きたいのでnote更新は後回しにすることを決断したのだけど、やっぱり毎日note更新で無理矢理にでも自分の中から情報を掻き出す作業は意義があったな……とも思ってしまう。そんな4月。


3月中旬に副業しようと思い立つ・note始める……からの

【4月の振り返り】というより現状

  • 息子が小学1年生になる

  • noteやってみて、キャリア相談やってみて自分の幸せを真剣に考え始める

  • 本業以外のチャレンジでやるべきことは見えてきている(時間捻出との戦いが始まっている)

  • そろそろ本業(農業)が忙しくなる

  • 思いほのか「家事時間」が多いことに苛立つ

こんなところ。ちなみに、たったこれだけの期間で「副業」というワードを撤回し(副業をしないわけではない)、長い人生において「自分の看板を立てる」もしくは「幸せ」という言い換えをしている。その手段が直近では副業かもしれないというニュアンス。これが4月の学びの1つ。

本業が落ち着いている時期というのもあって、4月は1年生の長男の新生活に振り回される生活を送っていた。振り回されると言うとアレだけど、興味本位で付き合ってみたという感じが近い。4月の学び2つめは、子どもとのこと。子ども関連のことって不思議と「〇〇が学びでした」とは言い切れない。ただただ過ごして、喜怒哀楽して、時には嵐のようで穏やかなこともあって、それが全て。振り返って時々掘り返して味わいなおしてみる、そんな感じ。それをひっくるめて「学んでいる」と言えなくもない。

子どもが小さい時期なんて一瞬だから

はい、子育てしていると誰もが聞くこのワード。子どもが小さい時期なんて一瞬なんだから。一緒に過ごせるのは今だけなんだから。子どもが赤ちゃん期の頃、私はこの言葉がピンと来ていなかった。早く手が離れてほしい、早く自立してほしい(早すぎ!)、我が子は好きだけど早く保育園に行ってもらって適度に距離を保ちたい。愛情は注ぐ一方でそんなことばかり考えていたので、「子どもが小さいのは今だけだから」を根拠に、子どもが3歳になるまでは保育園に入れずにできるだけ一緒の時間を持ちたい!子育てって大変だけど子どもかわいいよね!我が子LOVE♡を全面に押し出すようなタイプの方々を理解することができなかった。今だけだとしてもそれは無理!今だけだからってなんなのよ?キャリアのことはさておき、保育園入れたいがために働きたいと思っていた。

今はそれを否定するでもなく羨むのでもなく、単に考え方の違い・表現方法の違い・環境の違いとして受け止めることができる。これはきっと子育て7年目という年月を経た変化なのだと思う。そして子育てにおいて「今」が一瞬なんだということは、実感として理解できるようになった。小1の今、「今だけ」を楽しもうとしている私がいる。

一瞬の時期をどうやって過ごそうか?

子どもが小さい頃は一瞬=親子で一緒に過ごさなければならない」という思い込みが気づいたらそこにあって、7年子育てするうちにそういう変な縛りから徐々に自由になってきた。
要はそんな一瞬をどうやってお互い最大限幸福に過ごすか?という話。その場しのぎの幸福もあるし、先を見通した幸福もあるわけで、人によって主義主張も違って然るべき、双方にとって正解が違うこともある、このチョイスが非常に難しいだけの話。
一緒に過ごさなければならないとなると義務だけど、望んで一緒に過ごすのならば幸せ。ただ私の場合、ただひたすらに家事に育児にそして仕事にと追われた3歳までの乳幼児期は、全く余裕がなくてこんな言い換えすらできなかった。

今だって余裕があるわけではないし、現に家事時間多すぎ!(名前のない系・子育て関連含む)とイライラもするのだけど、ま、そうだよね……と現状を受け入れることはできるようになった。それはそれとして、自分はどうするのか?どうしたいのか?誰にどう交渉するのか?子どもはどう思っているのか?子どもはどうしたいのか?それを考えて行動すればいい。このあたりを日々試行錯誤。

1年生の日々も無事にひと月が経ち、最初の1週間の興奮状態は落ち着き、子どもは子どもなりに日々を過ごしている。私は半日を全集中で仕事して、半日は絶賛「ながら仕事」で話を聞いたり、たまには手を止めたり、そしてたまには短時間の留守番をお願いしたり、子どもの友人を招き入れたり、快く送り出したり、まだ保育園時の娘と本気でケンカをしたり、そんな日々だ。圧倒的に仕事時間も不足していることは百も承知。これはどこかでなんとかする。今じゃなくてもなんとかなる。でも、子どもが1年生なのは今だけだ。
そんな今、私は自分のキャリアを見つめ直し、noteも書いている。一見矛盾する行為だけど、きっとそれは「今だから」なのだと思う。

自分を切り離して考えることはできないから

noteでは「伝えたい人」を考えて「伝えたいテーマ」をしぼって書くのが大事だとそこらで言われているけれど、私は1人のヒトがいろんな顔を持って雑多なことを言うのを見るのが結構好きだ。そして変わっていくのを見るのも好き。今月は、テーマありき情報ありき属性ありきではなく、この人の言うことをただただ追っていきたいという方々にも沢山出会えたnote生活だったように思う。

子育てしている私も、本業をしている私も、本業以外でジタバタしている私も全て地続きで繋がっている。地続きの一箇所がものすごいうねりを起こしているとして、それを無視して平然としていることが私にはできない。自分の中のいろんな部分が影響しあって今がある。その共鳴する感じをうまく出していければ……という願望もある。

noteを活用する場合、1つ1つ切り離してテーマをしぼって記事を書くべきなのでは?という迷いもあったけれど、ページ作りには気を遣いながらやっぱり雑多にやっていこうかなぁと思う。それが来月の見通し。

ところで、春巻きを揚げたいのだけど

4月の末日。今日もいつも通りひっちゃかめっちゃかの1日だった。そんな中、今日は揚げ物をする予定だった。……がいろいろあって時間切れ、仕込みまでは終わっていたけれど、もうどうにも気力が1mmも残っていない。潔く明日にまわすことにしてふと考えた。1人暮らしのときに揚げ物なんてしたことがなかったし、夫婦2人生活になっても山菜をいただいた時以外、揚げ物なんてほぼしなかった。

自分でつくる揚げ物ってすごく特別。

そんな揚げ物をわざわざ夕食のメニューに選んだだけでも自分を褒めてあげようじゃないか。具材考えて。衣つくって。油ハネの処理も考慮して。片付けのことも考えて。作らなかったけれど。

そして、自分のためだけに作る揚げ物ってどうだろう?ということを思いついてちょっと楽しくなる。子どもたちには不評だった春巻きなんてどうだろう?

ただいま頭の中の7割くらいが春巻きになっていて、子どもたちを寝かした後は妄想春巻きを肴にビールを飲みながら4月を振り返っている。

自分のためだけに贅沢に春巻きを揚げて、それを食べながら自分時間を過ごす。これ、すごくやりたい。

そんな妄想でもいい、小さなワクワクを連ねていくことにも意義があるはず。5月もそんな日々をnoteと歩んでいきたいものです。



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