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【育児日記】新小学1年生の母、シンプルに「今」を大切にしようと決意した

長男が1年生になった。入学式から1週間。慣れない、怖い、どうしよう……と思っていたのはどうやら親の方だけで、子ども自身はとにかく学校が楽しみで楽しみで仕方ないらしい。その根拠はよくわからないのだけど、そもそも根拠とか求めていないんだよなぁ、楽しいものは理由抜きに楽しい!(逆に言えば嫌なものは理由もなくイヤ!)という当たり前のことに気づかされる。

小学校の1週目は午前中で終わる。明日からは給食が始まって帰宅は2時半頃。夕方まで保育園という生活とは随分違う。
……が、通っているご本人のレベルも保育園とは違うということを、往々にして気づかされる。


子育てって選択の連続だけど

子どもが生まれて以降、親にとっては比較的大きめの選択の機会が何度も訪れる。何歳から保育園入れる?仕事はどうする?育休どれだけとる?どの保育園?それとも幼稚園?などなど。小学校受験をする場合はもっとあるのだろう。その前に、どこに住むか、さらに前にはどのタイミングでどんな人と結婚するかも決めて……の子育てなのだろうか。

このnoteの世界では、フリーランスで在宅ワークを小学1年生までに……と目標を立てているワーママが多いことを知り、ただただすごいと感嘆したのはつい数週間前のこと。私はあまりにも計画性がないまま、なし崩し的に小1ママを迎えている。そして希望か希望じゃないかはともかくとして結果的に在宅で仕事をし決まった時間にバス停に立つ。(最寄りの小学校が遠いため、スクールバスが出ている)

自分で選んだとは言い切れない部分もあるのかもしれないけれど、どちらかと言えばこちらかもと思って気づかないうちに選んできたはずなのだ。

●保育園は未満から通わせる
 →シンプルに仕事がしたかった/イライラしながら接する親よりも、保育のプロに任せた方がいいと思った
●児童館には入れない
 →近所の子たちと一緒にスクールバスに乗って帰ってきて、近所の子たちと自由に遊んでほしい。やること・やりたいことは他人からスケジュール化されるのではなくて自分で決めてほしいと思った(だから働き具合は今のような形がいいと思った)

選択はいつでも「変える」選択ができればそれでいい

小学校がはじまって1週間、すでに児童館に入れた方がよかったのでは?と思う瞬間があるのは事実。「自分でやりたいことを決めて自分でやれ」は私の願望であるけれど、それを今すぐやれというのは当たり前だけど子どもにとって過酷だということに気づく。

田舎なので、近所の子たちとその辺で(屋外、主に畑で)遊んでおいで!ができる環境ではあるけれど、親子ともどもそこに至るまでの段取りがまだうまくできない。
〇〇ちゃんと遊ぶ約束した〜!と言ってもうまく屋外で落ち合えない。親はどこまで立ち会うべきかもよくわからない。田舎とは言っても昔とは違うから野放しというわけにもいかないのだろう。屋外で落ち合えないからと言って、玄関チャイムを押してまで呼び出してもいいものなのかもわからない。母同士でLINEできなくもないのだけど、そこに親が入っていくのも違う気がする。
結果、ひとりで過ごす。絵を描いたり、マイクラをやったり、本を読んだり。保育園時代よりは大人になっているので、空間を共にしていれば私は仕事しながらでもそれぞれの時間を過ごすことはできそう。

そんな姿を見ていると、やっぱり児童館に入れておけば、少なくともだれかと遊ぶ時間を持てるわけで退屈をしなかったのでは?ということが頭をよぎる。
一方で、子ども自身は今は今として過ごしているだけで「退屈だ〜」とは言わない。退屈そうだけどそこそこ楽しそうなのである。

冷静に考えてみれば、たった1週間で何がわかるというのだろう。友達との約束だって、おそらく今後は「何時にどこ(詳しく)」と約束自体の精度も上がっていくかもしれない。ついつい子どもの一挙一動が気になってしまうけれど、もう小学生なのだ。親の私が思うよりもできることは多い。私がやるべきなのは長い目で見守ること。必要以上に手を出さないこと。あまりにも本人にとって良くない環境が続くようであれば、そのときに選び直せばそれでいい話なのだ。見守りながら、可能な限り手を出さない、口を出さない。でもたくさん聴く耳は持っておきたい。親としてはその心構えをつくろうと葛藤している1週間だった。
児童館に入れないと今は決めていたけれど、私の仕事の事情が変わった場合や子どもが望んだ場合には、そのときに選び直せばそれでいいのだ。とりあえずは「今」をやっていく。

さぁ、今日はどんな1日にしようか?

今日はこうだった!明日は何をするのかな?とひたすら楽しそうな新一年生を見ているとそれでいいんだなぁと思う。もちろん長い目で見てどうなりたいかビジョンは大事だし、そのための計画も大事だけど結局は今の連なりでしかない。それなら今目の前を見ていないのはもったいない。1週間で感じたのはそんなことだった。
そして今日は発想の転換ができた。

明日から給食が始まる=こんな贅沢な午後が使える小学1年生の日は今日が最後。
フレッシュな気持ちで学校に対してはワクワクしかなくて、すべてが楽しみで仕方ない、そんなときに過ごす平日のフツーの時間。

一緒に買い物に行き、近所のカフェでちょっといい焼き菓子をテイクアウトしてお茶をする。マイクラだって一緒にやってみる。別に特別な何かをしているわけではないのだけど、子どもと一緒に過ごすことが普通に楽しめた。子どものワクワクを追体験したみたいで、こちらもただただ満足。小学1年生って楽しい。

今は今だけ。それを大事にできなければ、その次の楽しみも大事にできない気がする。そうやって小学校生活が連なっていく。母の日々も連なっていく。蛇足ながら、私の仕事もそうありたいなぁと思った。


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