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真夜中のダンサー 5夜

 ステップに拘泥すると上半身が疎かになる。逆に上半身のバウンスとかを気にするとステップが崩れる。まるで僕の「最初の」人生みたいだ。今ならもっとうまくやれてるはずなのに。

 やあ。この間「今なんどきだい?」ってコントを見たよ。全部ひとりでやってるのに、誰が何を言ってるかが字幕付きなら僕にも分かるんだからすごい芸だよ。あれは全部シナリオがあってそれを誰がやるかで意味合いも面白さも変わるんだって?驚いたよ。歌劇やいわゆるクラシックみたいだ。そういえば君は有名人にあったことがあるかな?僕でも分かりそうなら誰でもいいんだけど、日中ネブラスカにひきこもってるとあんまりそういうのがなくてさ、ちょっと憧れるんだ。僕だってサミュエル・L・ジャクソンやジム・キャリーに会ってみたいさ!でも彼らはハリウッドの人間だし、地震だか山火事だか暴動だかトルネードだか、とにかくよほどの天変地異でもなければこんなところには来ない。でもバーでウディ・アレンと会ったことはあるよ。ひどく酔ってた。ウディ・アレンって分かるかな?自己顕示欲と予算削減のためによく監督兼主役をやる人だ。監督兼主役ってアクションとカットをどうやって指示するんだろ?アカデミー賞獲ったこともあるんだよ?いつの何部門かは忘れたけど。彼はその時授賞式には出席すらせずにニューヨークのカフェでクラリネット吹いてたんだってさ。彼が吹いてたのがクラリネットがどうかは分からないけど、授賞式に出席しなかったってのは本当だよ。まあそれはどうでもいい話だ。話したいのは人間の寿命を超えたもの、大ざっぱに言えば芸術とかいうやつさ。確かに僕は印象派、ゴッホだとかモネだとかが好きだよ。でもさ、偽名でサインした小便器を床に置いただけで芸術だと言われると「それはちょっと違うんじゃないですか?」ってなるよね。いわゆるレディメイド、既製品、そういったものの再解釈によって新しい価値を見出すようなやり方さ。僕だってたいていのフォークとスプーンはこれ以上どうしようもないほどの美術品だと思う。抽象で言えば確かに抽象画としてモンドリアンはすごいことをしたさ。でもあれはさ、僕にとっては絵画ではないんだよ。僕以外にもそう思ってる人はそこそこいると思うけど。あれは純粋な「可能性の提示」なんだよ。だって誰が直線のみで濃淡もクソもないような作品を出す?当時僕はすでにアメリカにいて、1929年以降の世界大恐慌でなかなかひどい目に遭ったんだけど、それでもモンドリアンは輝いてた。僕はあの直線と原色にやられたよ。もうここにはないけど、一時期だけモンドリアンの絵を所有してたことがあったんだ。小さいやつだけどね。僕はそれをソファーに置いて、持っている間ずっと、ありとあらゆる角度から眺め回してた。最高だったよ。あの直線と原色に大金を払った元は取ったと思う。僕はモンドリアンの絵画を向かいのソファーに置きながらビートルズが出演するエド・サリヴァン・ショーを見てたりしたんだよ?ごめん、話が長く回りくどくなるのは老人の悪癖だ。この話自体は割と面白い思うんだけど、長くなるから一度ここで切ろう。今回の話について君が興味があるんならまた前の話とか細かいところとか続きを話すよ。じゃあまたね。

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