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Done・断・断捨離

 いつか若かりし日のスティーブ・ジョブズの部屋の写真を初めて見た時は驚いた。何もない。巨大なティファニーの照明、ニール・ヤングの「harvest」などの30枚もなさそうなレコードコレクション、レコードプレーヤーとスピーカー。その写真に収められているもので俺が分かるのは他にはスティーブ・ジョブズしかなかった。俺が知る限り彼は禅の世界観などに通じたヒッピーかぶれの偏屈で菜食主義のビリオネアだ。彼を尊敬している人は多いし、彼や彼のビジネスや思想の本はたくさんあるし、俺だって遠くに住む友人とskypeがしたいと最初に買ったスマートフォンがiphoneで、以来2・3回iphoneシリーズを買い直している。だが俺は彼があまり好きではない。

 うちの母は自ら「信じているのは先祖たちであって仏教ではない」というようなことを時折口にするが、別に切支丹でもなければ禅僧でもない。携帯だって2022年には使えなくなると知っているのにガラケーだ。ジョブズやライフスタイルとしてのミニマリズムのことを考えたことなど今までで10秒もないだろう。だが断捨離が大好きだ。
 俺から見た母はとにかく物欲が枯れている。たまに宝くじを買ってくるくらいで、自分のためのものはほぼ買わず、旅番組を好んで見ているが旅行好きでもないし、驚くほど少食で外食に興味もない。そして何かとものを捨てようとする。
 母は俺に「この本もう読んだんでしょう?何で置いておくの?」という、俺からすれば信じがたいことを平然と言い放ち崩壊寸前の本棚を指差す。俺の価値観で言えば読み終わったから捨てるような本など買う価値がないし、そうやってまだ本来の役割を果たせるものを手放すのが嫌だから、よほど気になる特集があったりすごい付録が付いているというのでなければ雑誌は買わないし、漫画だってたまに立ち読みするくらいで基本的に単行本を買う。おそらく母にとって俺の本は「重量がありスペースを占有する物体」であり、その中身についての俺の思い入れや受けた影響などは埃程度の認識なのだ。でも同様のことは俺も言い返す。
「俺の本棚より重そうなあの嫁入り道具の紫壇の衣装箪笥も、もう何十年も着てないその中の服も捨てるなら俺の本も全部捨てるよ」
 我ながら母親に対して非人道的な言葉を吐いているという自覚はあるが、これで母はしばらく本を捨てろと言わなくなる。矢印がどこに向いているかの違いで、本質は一緒ではないかと思う。「それが持ち主にとってどういうものか」というのが最も重要な点で、それを自分の価値基準を物差しにして一概に測ってしまったら大変なことが起こる。第一、もし誰かにそんなことが完遂できたなら、日本に神社も寺も教会もモスクも第7サティアンもあるというような誰も全容を把握できない現代にはなっていない。住めば都だし一寸の虫にも五分の魂だしボロは着てても心は錦だし愛は地球を救うし金は命より重いのだ。

 簡単に言えば、今年最後のゴミ収集日にゴミを出し忘れた。

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