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真夜中のダンサー

 右、右、左、右、左、左、右、左、ここでターンだ。ターンはもっと速く、止めるところでは全身の筋肉を硬直させて止まれ。

 やぁ、ここの現在時刻は午前2時のほんの少し前。月齢はいくつだったっけ?まあとにかく真夜中だ。この家にはそこそこ広い庭もあるし、今ステレオで鳴らしている音楽や、僕のドタバタとしたステップの音は近隣のご迷惑になるほどの騒音じゃない。ここは2階じゃないしね。いつかテレビで隣人同士の仲が最悪で嫌がらせとして秘密裏に相手の寝室の壁にラジカセか何かを埋め込んだっていうのを見たっけな。どのみち僕は今それどころじゃない。少し待って、撮った動画をチェックしなくちゃ。
 あぁ、やっぱりだ。サビの手前あたりからバテて腕の振りもアイソレーションもキツくなってる顔だ。これじゃフロアではモテないよな。舞踏会では相手をとっかえひっかえずっと踊ってられたのにな。ステップさえ覚えれば、後はそれをどれだけスムーズに相手のステップを乱さずに優雅そうな顔を保ちつつこなすかだけでよかったんだ。何しろ毎晩のようにどこかでみんな踊ってた。歌劇場でだって、街の酒場でだって、ステップはどこにでも存在したし、各々でのルールってものがあったんだよ。でもやれ革命だ議会制だ民主主義だ戦争だでヨーロッパは少なくとも僕にとって窮屈な土地になりつつあった。だからアメリカに来たんだ。確かカフカの短編にも『アメリカ』っていうアメリカに来た途端に無一文になる男の話があったっけな。
 でも今じゃどうだ?確かに毎晩どこかでパーティーはやってるさ。でも優雅さのかけらもない、しかも複雑怪奇かつ独自性のある、アクションやリアクションとしてのダンスができなきゃモテないんだよ?ひどいもんだ。全部あのブロンクスの連中がヒップホップなんてものを発明したせいだ。これでも『ブルース・ブラザーズ』あたりまでのダンスはけっこうできたんだよ?でもそれだってもう化石みたいなものだ。だからマイケル・ジャクソンを見て痺れてね、僕もこの時代のステップのルールを覚えたいと思ったんだ。でも件のヒップホップだよ、今じゃどこもそれがスタンダードだ。でもさほら、僕は吸血鬼だから鏡に映らないだろ?それで長いこと、自分がどんなひどいヒップホップ・ダンスをしてるのかを確認することさえできなかったんだ。怖くてフロアで踊るなんてできなかった。でも今は便利な時代さ。ミラーレスのデジタル・カメラ。こいつが僕を客観視させてくれる。あと洗濯乾燥機もいい。これで日中庭に洗濯物を干しに出るなんてしなくても、しばらく放り込めば乾いたきれいな服が取り出せる。eBayとFedExとAmazonも重要だ。夜中にシャンプーだとか歯ブラシだとか洗剤だとかを買いに行くのはクールじゃないだろ?eBayには感謝してる。前に先祖の形見を見付けたことがあってね。そこそこ競ったよ。あそこに置いてある眼鏡、あれが形見だよ。ずっとどこかで無くなったものだと思われてたんだ。吸血鬼だって一晩にして成るものじゃないんだよ。吸血鬼でい続けるためにはそれなりにたゆまぬ努力をしなくちゃね。じゃあそろそろ通話を切るよ?いくらSkypeで通話無料だっていったって君の人生は有限だろ?もっと有意義に使わなきゃ。じゃあ僕はシャワーを浴びたらビシッとキメてパーティーに行って、踊りまくって若い子たちに元気をもらいに行ってくるよ。え、パーティーに行くような処女なんていないだろって?そりゃいないさ。でも吸血鬼には始祖から伝わるそれなりのやり方があるんだ。え?それは企業秘密だよ。じゃあね。

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