愛すべき名称




自転車の後ろで背中に甘えながら、眠りこけていた事くらいしか覚えていないけど、今のこの自分の感情を思うと、とても楽しく、とても幸せで、優しさで溢れた日々だったんだと想像できる。


私の母はとても感情的な女性だ。喜怒哀楽がとてもはっきりしている。


怒る時は海外ドラマの彼女のように、爆発して激怒するし、悲しい時は子供みたいに涙を流すし、嬉しい時や、楽しい時は踊ったり、明らかに語尾に♪が付いていて分かりやすい。母のそういう所がとても女性的で、本当に綺麗だなと思う。女性的な脆さを持ちつつも、どっしりとしていて、気が強く、逞しい。


そんな母の口癖は、「やられたらやり返せ」だった。小さい頃から、空手の稽古に明け暮れ、全国大会を総ナメしてきた、腕っぷしの強い母らしい言葉だった。その家訓が幼い頃から課せられ、幼稚園で男の子に玩具を取られても、意地悪されても、泣いて帰って来たことはなかったらしい。


私が覚えている限りでは、私は本当に面倒くさい子供だった。何故か強く見られたくて、強い人間でいようとした。誰に強いと思われたかったのか謎だが、とにかく色々と大げさにしたくなかったんだと思う。私が期待しなければ収まる事がこの世界には沢山あったし、全てになぜか意味が必要で、全てに意味が欲しくて堪らなくて、何の為に存在しているのかという事にしか興味を持たなくなった。

成長するにつれ、「やられてもやり返さない」という精神性の方が落ち着くようになってきた。単に好戦的でいる事がとても面倒くさい事に思えた。


ある日、今まで泣き言を言った事がなかったのだから、きっと私の願いは叶うだろうと思い、学校に行くのをやめたいと言ってみた事があった。どれだけ泣きながら帰っても、鬱屈な表情を玄関の前で作り、「もうさ、学校に行きたくないねん」と言ってみても、その願いが通ることはなかった。

その時の私の楽しみは、放課後の部室と放課後の公園だった。渡り廊下を抜けると、廊下まで響き渡る誰かのぎごちないドラムの音が聞こえた。部室の前でCDに合わせて、練習しているギターや歌声が聴こえてくる。毎日の事なのに、気が付けば胸は高鳴り、足早になっていた。一日の始まりはいつもここだった。完全に私の居場所だった。


その日はとても晴れていた月曜日だった。カーテンを開けると、馬鹿みたいに日差しが照っていて、本当に学校に行きたくなくなってしまった。今までのは半分は本当で半分嘘だった。別に行けない事はないけど、みたいな事だった。

最初の頃は完全犯罪で、学校に行くと言い、近くの公園で色んな事をして時間を持て余した。音楽を聞いたり、歌ったり、勉強は苦手だったけど、日本の歴史には強く興味があった。武士達のお国の為だとか、家族や大切な人の為とか、自分の死に様を自分で決める生き方に惚れ惚れした。幕末期の本などを読み漁ったり、織田信長が一番好きで、本能寺の変という本を4日かけて読んだ。いつ聞かれてもいいように徳川家一五代将軍の名前と、それぞれの性質などを無駄に覚えたりもした。

朝から夜になる空をずっとぼーっと見ていたから、浮かび上がっていた無数の雲が星に変わる瞬間を沢山見た。

数え切れないぐらいの虫にも刺されたし、勝手に許可もなく人の血を吸って、ありがとうの一言もないやつらに無性に苛ついたりもした。吸いますよ〜くらい言うてくれたら、こちらとしても快くどうぞどうぞってなるのに。公園には必ず少し変わった人が居るけれど、朝と夜とでは変な人の種類が違って、それも可笑しかった。

部室にいって公園で時間を潰す。ただただ、そんな日々を繰り返しながら、時間が過ぎていった。蚊に刺されたボコボコになった腕や足を見て、憂鬱になるようになった。諦めて堂々と部屋から出ないようにしてみることにした。以外と何かを言われる事はなかった。


一週間経って、部屋にあった教科者を猛烈に捨てたくなった。家にいてもチャイムの音が聞こえてきて、耳を取りたいのに取る勇気がないし、教科書を捨てる勇気しか私にはなかった。


一般ゴミに出そうと思い、教科書を捨てようとしていると、凄い剣幕で母は私から教科書を奪い取った。そして初めて親から頭を下げられた。人生で初めて親から頭を下げられた瞬間だった。「頼むから、どれだけしんどくても、苦しくても、学校だけは行ってくれ。誰かに負けるような人間にはならんといてくれ。傷ついて欲しくないけど、傷つかないとあんた駄目になってまう。」と、母は泣きながら言っていた。

人生で一番最初に味わった不甲斐なさだった。次の日から学校に行った。ちゃんと傷つきたくなった。なにより母ちゃんを守らないとと思った。



「私はな、ただのあんたのファンやねん。別に親やからとかじゃないねん。あんたに何かしてあげた事なんて別に何もないし、これはただの投資やねん。やからあんたに飽きてしもたらもう辞めるねん。勘違いしんといてや」と、いつか言われたことがある。


私がなんの親孝行もまだ出来ていないし、何者にもなれていないし、肩身が狭くならないように、優しさを言葉にしてくれたのか、本当に本心で思ってくれて伝えてくれたのか、分からないけれど、どっちでもいいくらいに嬉しかった。

昔から私に良かったことも、悪かったことも、全部話してくれる。痛いことも、ちゃんと言ってくれる。そして何者にもなれてない私でも、一番に愛してくれている。女性である前に私の母で居てくれている。私を産んで、歳を重ねていても、私と同じ時代があったと思うと、母も大人だけどまだまだ子供のままなのだと思う。


怖いこと、喪失感や孤独感は、変わらずあって、世の中の大人の人達も、きっとみんなそうなんだろうな。怖いままなのに、それでも進んでいくから、必死に追いつかないといけなくて苦しいんだろうな。そんな中で私の母も、私の母でいようと、大人でいようと、強くいようとしてくれている。血が繋がっていて、母親だから好きなんじゃない。母ちゃんだから好きなんだ。

私がこれからは守っていきたいと思う。思ってるだけかもしれないけど、思う。もっと頑張らないとなって思う。

そして強く見せたいとかっていう感情が、今は全然なくて、昔よりかは言いたい事を口に出来るようになったなと思う。思った事をそのまま言い過ぎて、離れてしまった縁だったり、沢山あるけれど。人の事を傷つけるものじゃなくて、自分の本当に伝えたい言葉なら言った方がいいよね。


私は私の前で素直で居てくれる人がとても好きだから、大切な人の前では出来るだけ素直で居たいなと思います。素直じゃないとこが可愛かったりする事もあるから、そこは狙えないけど、、ま、いっか。そいえば先日は母の日でしたね。お手紙と、母ちゃんが好きなオペラというコーヒーのケーキを買ってきました。お金じゃないけど、こんなささやかなもので、拳上げて喜んでくれる母が本当に可愛かったです。

ここ数年は、一週間前くらいから、「桜、もうちょっとで母の日やなぁ〜」とお知らせが入るようになったし、「今年は去年の手紙より手抜きちゃう.....? 絵がないやん!絵!」とクレームまでつけてくるようになった事すらも、可愛く思えてきました。みんなは何か伝えた?



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