結局窮鼠は猫を噛めない



性的描写が細かく描かれているものに、感情移入が何故か上手く出来ない。窮鼠はチーズの夢を見るを見た。生々しく性というものが表現されているのに、性的魅力に翻弄されない自然体の愛がずっと漂っていた。親と見たら気まずくなるシーンベストオブベストだと思うけど、綺麗で思わず泣いてしまった。それくらいにはすっぽりと落とし穴に落ちた気分。勝手に隣で見ていた母ちゃんに、ベットシーンで泣くなんてこいつ正気の沙汰じゃねえと思われた事だけが心外だったけど、本能よりも理性でただ好きな人と繋がりたいという狂おしい感情に心を打たれすぎて、謎に調子に乗った気持ちでお酒を飲みたくなってるくらいには感動した。

今ヶ瀬の恭一への片思いから始まる男性同士の愛の物語で、そんなつもりはなかった恭一が今ヶ瀬の一途な真っ直ぐな想いと元々の恭一の流されやすい性質もあって、ペースに飲まれながらも次第に惹かれていく。結末的には恭一は女性と一緒に居る未来よりも、男性の今ヶ瀬と居る未来を選ぼうとするけど、それを望んでたはずの今ヶ瀬は色々な葛藤や心情の中でそれに応えずに離れる事を選ぶ。

住む世界が違うのは理解してたし、本来なら彼をこの世界にいれてしまうべきじゃなかったのに、引き入れてしまった事へのジレンマみたいなものもあったのかなとも思うし、彼の人生を変えてしまった事が怖くなって苦しくなったのかなとも最後のシーンで今ヶ瀬がホテルで、恭一ではない違う男性に抱かれながら泣いているのを見て思ったけど、そんなに泣くくらいなら離さへんかったらいいのに!って思う反面、7年間もひたむきに想ってきて、恭一がどういう人間なのかをよく理解してるからこその決意と、好きでもない違う人に抱かれて打ち消そうとした今ヶ瀬の気持ちを思うと....壁に頭打ち付けたい.... 

今ヶ瀬が居ない所で灰皿残してたり、カーテン変えてたり、帰りを待っていたり、自分に好意を寄せてくれる女の子を振ってたりと恭一も今ヶ瀬の事愛しているのは分かるのに、そういう行動に偽りはないのに、伝わらないのが世の常ですものね....とほほ....

 友達が彼氏に振られて泣きながら電話してきてくれた時なんて、正にその気持ち。知らない所で今この瞬間に貴方の事を想いどうしようもなくなって泣いている世界でたった一人のおなごが....いるよ....なあ、いいの....!!!って、本人に言いに行きたくなる。あれほんと悔しい。

自分が見ているものの表面的な部分を盲信するのは怖い事だし、本当に見ないといけないものって大体は頑張って見に行こうとしないと見えないから苦しい。お互い惹かれ合っているのに愛し方や愛され方が分かってないだけで壊れてしまったり、自分本位で愛するのは簡単やけど、愛してるから信用出来るとは違うのかなとも思うし、考えたり悩んだりして辛くなるならもうなんか面倒くさい...とか思ったりするけど、誰も愛さないと誰も愛せないことでまた悩んだりもする。

どうせ悩むんだったら、大切な人がどこかに居るという事は嬉しくて幸せな事だから、愛する人が居るならちゃんと大切にしたいね。行定勲さんの映画っていつも色々と考えるキッカケをくれるけど、ナラタージュの時も感じた思いの丈をだらだらとぶちまけるよりも、沈黙とか余白の中に生まれる息苦しさみたいなものがムクムクと膨れ上がった空気感と、映像美で想像出来る事が沢山あって面白い。凄いな...

あの後の二人はどうなったのか、もっと二人の事知りたい。なんであんな表情をしたのかあの言葉を選んだのか、理解したくてエンドロールが終わったすぐに再生ボタンまた押してた。男とか女とか関係なく理屈じゃなくなる瞬間。人を好きになるというのはこういう事だ!くっそ〜











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