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アフターワクチン:この国を変えることができるのは善でも正義でもなく、ただ怒りだけである

「まだワクチンのこと言ってるの?」
「もうワクチン終わったし」
「ワクチンの話、もう十分」
「いつまでも引きずってない方がいいと思うけど」
「そもそも薬害がゼロの薬なんて無いしね」

最近ようやく「ワクチン死」や「ワクチン後遺症」の報道が出てくるようになったと思っていたら、一方でこの様な言葉が聞かれるようになってきました。

せっかくワクチンの実態について声を大にして語れる環境が整ってきたというのに、本当に残念なことです。

以前の楽しい日常生活を取り戻したいという思いは誰にでもあるでしょう。

しかし、歴史上かつてない世界規模の陰謀を、このまま何の追及もなく「無かったこと」にしてしまって良いのでしょうか?

モリカケ、東京オリンピック、アベノマスク、統一教会・・・そのどれ一つをとっても極限的重大問題であるにもかかわらず、現在これらの言葉を聞くことは全くと言っていいほどなくなってしまいました。

ワクチンの追求と告発も、恐らく時間の問題でこうなっていくような気がしてなりません。

海外に住む身内からは、「ワクチンもマスクもとっくの昔に終わってるし、コロナの話なんて全く出ない」と聞いています。

ただ、ワクチン被害を受けた人たちによる抗議行動は各地で行われているとのこと。

では、日本はどうでしょうか?

突然死や体調不良の原因が、コロナや高齢そして持病にあると考える”当事者”は少なくありません。

つまり、それらの原因がワクチンにあると考える人は、海外と比べて圧倒的に少ないのが日本の現状なのです。

今後ワクチンを問題視するのは、恐らくごく一部の限られた人たちに限定されていくのではないでしょうか?

すなわち、「ワクチン被害を実感している接種者たち」と「ワクチン追及をあきらめない未接種の人たち」です。

そして、すでに過去のものとなりつつある「接種・未接種」の分断に代わり、今後はワクチン接種後の「被害・未被害」によるもう一つの分断が生まれてくるような予感がします。

この2年間、未接種者の人たちは自身の被害が無いにもかかわらず、「反ワク」と言う卑劣な言葉の弾圧の中でワクチンの告発を続けてきました。

しかし、今こそ「ワクチン被害を受けた当事者」たちが真相に気付き声を上げていかなければ、この犯罪の追求はやがて埋もれていくことでしょう。

これまでの様々な権力犯罪と同様に。

やがて未接種の人たちも一人また一人と闘争の場を去っていき、最後に取り残されるのは「ワクチン被害者」だけになってしまうのかもしれません。

いや、すでにそうなりつつあるように感じる今日この頃です。


追記
まだ参加者は少ないようですが、「ワクチン後遺症患者の会」が結成されたようです。

一方で、未接種の側からは「陰謀論・反ワクと言ってた人たちを税金で救済する必要があるのか?」といった厳しい意見も出されています。

さらに、未接種の側自体にもコロナの存在やマスク着用、改憲などを巡って様々な分断が出来上がりつつあるのも事実です。

そしてこうした混乱の中、すでにワクチンの告発に見切りをつけ、noteやTwitterから離脱する人達も散見されるようになってきました。

ワクチンでも、また敗北してしまった・・・そんな思いを否定することができません。

政府にとっては「何をやっても許される国」
そして市民にとっては「何をやっても潰される国」

次はいよいよマイナンバーカード義務化。
ディストピアの完成も間もなくと言う気がします。

<追記:さよならワクチン> 2023.6.7

今この国には1ミリの希望も無いけれど、「怒り」でさえも一部の人たちの間に限定されている。

しかし、もしこの地が人々の怒りで満ち溢れることがあれば、私はそこに間違いなく「希望」を見るだろう。

民主主義など、とうの昔に終わっている。

「巨大な悪に対抗できるのは、善でもなければ正義でもなく、それはただ怒りだけである」

これこそが、私がたどり着いた結論に他ならない。


明日に向って撃て!




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