はじめての《お別れ》【#27-気持ち】

ひとには誰に定められたか"寿命”というものがあり、いつくるのかは誰にもわからない。
わたしの祖母はいわゆる「天寿を全う」して亡くなったが、亡くなって18年が経つ今でも、生きている間に素直に気持ちを伝えておけばよかったと後悔している。
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認知症が進みながらも元気で「もうすぐ退院ですね」といわれていた矢先に、突然亡くなった。

それも明け方のことで、「おばあちゃん、意識不明なんだって」と起こしに来た母の声の震えは今も鮮明に残っている。いや。その瞬間から火葬場までの三日間のこと全て、わたしはちゃんと覚えている。

急いで着替えて車に飛び乗り出発。赤信号を何個かすっとばし、スピードもグングンのびていく。いつもは法定速度を守り安全運転な父も、この時は焦っていた。
その日はお天気もよくて、助手席後ろの後部座席の窓ぎわからオリオン座がくっきり見えた。「まだ死なないで」とオリオン座に向かって祈った。

祖母は夜中に看護師さんが巡回したときには、すでに亡くなっていたようです。
遺体の顔は眠っているように穏やかで、苦しんだ様子ではない。それは良かった。眠るように静かにいけたのなら。ただ顔はコンクリートのように灰色で、唇は魚の目のように白い。顔は祖母なんだけれど、わたしの知っている祖母ではなかった。

やがて祖母の遺体は病院からお寺に移され、小さい棺におさめられていた。お化粧をしてもらったらしく、血の気が戻ったような肌色に赤い唇。でも知っている祖母の姿じゃない。

本当は、生きているときにお別れを言いたかった。

お通夜の説法で、お聖人が「いまも魂だけはここにいますから」といっていたけど、わたしは生きているときに言いたかった。伝えたかった。

おいしいごはんをたくさん用意してくれてありがとう、
眠れない夜は(戦時中の辛い話ばかりだったけど)お話を聞かせてくれてありがとう、
愛してくれてありがとう、
わたし立派な大人になるよ。

中学二年生のときに起きた初めての身内の死。それが大好きな祖母で「きっとわたしが成人するまで生きていてくれる」と謎の確信があったのに。

大きな後悔と悲しみと喪失感を処理しきれなくて、お通夜から火葬場まで、三日三晩泣き続けた。
古代中国や古代エジプトには、お葬式に大げさに泣いてみせる「泣き女」がいたというが、その時のわたしは正にそんなんだったと思う。
お寺の本堂に響き渡るぐらいの大声で泣き、涙も鼻水もふけず、年甲斐もなく母にしがみついて泣いていた。落ち着いた後にまた思い出して泣いた。子どもの寝ぐずりのようでもあった。

どうしてわたしは祖母が生きているうちに素直に言わなかったんだろう。

祖母は天寿を全うしてくれたけど、それでも突然のお別れは何年経っても辛い。
今でも祖母の死の出来事を思うと「寂しい」「悲しい」「後悔」で涙がでてくる。

絶対忘れられない思い出のひとつ。

大切な人を失う辛さを教えてくれた大切な思い出だ。
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親も子も、友達も、いついなくなってしまうか分からない。
伝えられるうちに素直になっておいたほうが良いと、わたしはいつも思うのだ。

言葉で伝えられなくても、できることは誰にだってある。

メッセージカードを送ってみたり、テレビ電話してみたり。
今は難しいけど、一緒に旅行にいったり、帰省したり。

大切なひととの思い出を、たくさんたくさんつくって、しっかり「ありがとう」を伝えよう。

読んでいただき、誠にありがとうございます。 あなたのおかげで、わたしの心もほっこりしました♪