アフリカ探訪記#2
2011年から2013年までアフリカのザンビアで青年海外協力隊員として活動していた時の経験やザンビアでの生活をつづったものです。今回は第2弾です。
ミニバスは事件を運んでくる
真っ青な空に真っ青なミニバス。今私はミニバスに乗って首都へ向かっている。ミニバスというのは廃車寸前のハイエースの後部座席に4列のシートを押し込んだ南部アフリカではおなじみの乗り物である。多くの庶民はこのミニバスを利用して移動する。このミニバスとは別に都市部には長距離用のビッグバスというのもあって、こちらは経済的にある程度豊かな人間が利用する。ビッグバスの多くは定刻になると発車し、料金はミニバスのおよそ倍額であるが、安定した乗り心地で一人一席が割り当ててある。一方でミニバスは一人に一席割り当てられることは皆無で最大20名が押し込まれ、この世のものとは思えない乗り心地の悪さである。年季の入ったタイヤは赤子の肌のようにすべすべしている。速度計は概ね壊れているため、誰もが自分の乗っている乗り物の速度を知る由もない。今にもばらばらの破片になって方々へ飛び散っていきそうな、かろうじてハイエースの形を止めているだけの青い「何か」に乗って、各々の目的地まで移動する。私は地方に住んでいるため、ミニバスしか移動する術がないが、もしビッグバスが運行されていたとて、好んでミニバスを利用するだろう。それはミニバスに乗って首都まで上京すると必ず事件に巻き込まれるからである。
ミニバスの乗り方
それら事件についての詳細を語る前に、読者諸君にミニバスの乗車方法について教授したいと思う。まず、ミニバスステーションと呼ばれる食欲が失せる程青いミニバスが大量に駐車されている場所へ行く。すると、大勢の乗務員がぞろぞろとやって来て、どこへ行くのかと尋ねられる。大きなカバンを持っていると、行き先も聞かないで、その素晴らしい洞察眼を発揮させながら近くの都市部までいくものと勝手に推測され、反対方向のミニバスに乗車させられることがあるので、ここでは馬鹿みたいに大きな声で行き先を言わなければならない。日本とは異なり、ザンビアでは助手席が上座になるため、馴染みの乗務員であれば、助手席へ誘導してくれるが、助手席に座った人間は事故時に概ね命を失っているので、できる限り避けた方がよろし。首尾よく後部座席に席を確保できたとしても、気を緩めてはいけない。自身で窓の開け閉めを調整できるところに座った方が良い。20人も乗れば、車内は灼熱の地獄と化する。ここで、後部座席の真ん中に座っていようものなら、あなたは毛穴を通して隣の親爺の汗が自分の内部へ入り込むことを覚悟しなければならないし、何とも言えない匂いを何時間も耐えなければならない。ところが、乗車時に窓の近い席を確保出来ると、車内の空調を一手に引き受けることが可能となるため、車内への空気の出し入れは自由自在となる。是が非でも確保されたい。ミニバスは乗客を入るまで押し込めてから、発車する。旅行をして、おみやげを買い、もう帰るのだからいいやと何も考えないで次々と荷物を詰め込んで、今にもはち切れそうなカバンのようである。一度20人でハイエースに乗ってみれば、これがどれだけ常軌を逸した状況か分かっていただけると思う。さらに乗客の中には山羊を手荷物として隣の席へ置くペーターがいるので、ハイジのおじいさんに叱ってもらわなければいけない。多くの山羊はこのストレス過多の車内で概ね他界するが、最後の鳴き声があまりにも哀れでならないので、私は車内で唯一の仏教徒として合掌することにしている。
ミニバスと羊飼いペーター
乗客が詰め込まれると、運転手が運転席へ乗り込み、ようやく出発する。出発すると、乗務員が手をぐっとこちらへ伸ばしてくるので、そのタイミングで速やかに料金を渡す。「足りない」とふっかけてくることもあるが、詰め込また人肉が何層にもなっていて、乗務員はこちらへ手出しできないので、そのまま放っておくこと。そして、車内の温度に意識を向けながら、目的地まで窓を開け閉めに専念するのである。セレンジェから首都のルサカへ行くには大きな町を3,4つ通るので、乗客の大部分が下車し、それぞれの町で客集めにまた時間がかかる。首都へ辿り着くと、足が言うことを聞かなくなっているので、立って歩けた時にはハイジに「立った!」と褒めて欲しいもらいたい気持ちになる。普通の乗車から降車までの一連の流れがすでに一つの事件に違いないのに、それでもまだ事件は起こるのである。
ストレスと便意は大親友
メ―メ―と鳴く山羊が死んでしまうほど、ギューギュー(山羊なのに、牛牛」)に詰め込まれているのだから、少なからず人間にだって影響はあるはずだ。特に母親の胸に抱かれている赤ん坊はそのうち圧死しそうで、何とか助けてやりたい気持ちになるが、如何とも仕様がないので非常にはがゆく、ただただこの親子が出来るだけ早く目的地へ着くことを祈るばかりである。さて、ストレスは便意と親和性があって、以前私も「ストレス性夜便症」について書いたこともあるわけであるが、赤ん坊だってストレスを感じるのであって、彼らの便意もストレスと無縁ではあるまい。つまり、何が言いたいのかというと、ミニバス内で赤ん坊が大便をおもらししてしまうことがあるのである。赤ん坊なので、仕方がないと割り切れないのが、悲しいところで、その親子が隣に座ろうものなら、身動きもとれず、大声で叫ぶことも許されないこの車内で私は途方に暮れてしまう。私はこういったおもらしベイビーに二回遭遇したが、その両方が隣席だったので、笑いごとでは許されない。ただならぬ意気込みで、その初めての経験を記述していきたいと思っている。
続きは次回。
それではアディオス!
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