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会社からの評価を上げることは簡単だけど、それでいいの?という話

みなさん、こんにちは。

ご無沙汰しております。

今回は、会社のチームや後輩たちからよく受ける、以下みたいな相談について私が思うことについて書いていきたいと思います。

〇私、会社から評価されずにもどかしいんですよね

〇きちんと仕事しているのに、別の社員のほうが昇給が早い

こんな相談事なんですが、言われた業務をきちんと遂行している一方で、会社や上司からの評価が芳しくなく、昇給しない ということですね。

今任されている仕事を100%遂行できたかどうかで評価が上がるわけではない

前提は、これです。任されている仕事をこなせたとしても、それが評価されるわけではない。でも、大方の人間は、組織から評価を受けるにあたっては、今の仕事自体の結果によって成されると信じています。違います。キーワードは「希少性」です。

一旦、会社や組織の立場に立って、考えてみましょう。会社としてはどのような人材を評価しようとするか。それは、「希少性」なんです。希少性というのは、「代替が効かない」「世の中に存在している人が少ない」ということです。

会社としてある人材を評価するかしないか判断するとき、この人材が外から採用しても対応できるような仕事や外注したら対応できる業務を行っているのであれば、評価はされませんし、昇給もしません。その仕事の「希少性」が低いからです。

つまり、評価される人材は、内部や外部から調達して同等の水準で業務が遂行できない、そういう仕事をする「希少性」の高い人材が評価されるのです。今、任されている仕事ができたかできなかったか、というそういう水準で評価がなされるわけではありません。組織にとって、その人材が欠けてもらっては困るかどうかの水準で評価がなされるのです。

したがって、評価されよう、給料を上げようと思ったら、その会社や組織が目指すことと現実のギャップの中に、社内外では代替が効かない業務を見出して、そこで結果を出すことが必要なのです。繰り返しますが、今担当している仕事が代替可能であれば、その仕事でどれだけ結果が出ていたとしても、評価されません。

ただね、、

会社からの評価は権力者のパワーゲームであること

ある人材が有用であるかどうかを決するのは、人材そのものに内在している価値ではなく、またその経験的に確証された有用性でもなく、多くの場合、パワーゲームにおいて、その時点で力を持っているプレイヤーの利害だということなんですよね。

だから、会社からの評価や年収をもって、自分の存在価値としてはいけない。なぜか。人材を格付けしているのは、人材の内在的な価値ではなく、「投資の短期的かつ確実な回収が可能かどうか」だけであるからです。そして、それは市場や特定の組織における当該知識・技能についての「需給関係」で決まり、人間そのものの価値とは関係がありません。繰り返しますが、権力を持つプレーヤーの刹那的な評価をあなたのレゾンデートルと絶対にしてはいけません。

あなた自身がかけがえのない「人間」であるということと、会社や組織としてあなたが有用性のある「人材」であるということを同じ水準でとらえてはいけないということです。

だって、会社からの評価の仕方に対して、安易に頷いてしまえば、会社はいつだってこう言ってあなたを脅かして、安価に雇い続けることに成功する。

「文句があるなら、いつでも辞めろ。おまえの代えなんか、いくらでもいるんだ。」

「査定」よって生まれる「不安」

採用側は、このあたりよく理解する必要があると思います。偉そうにふんぞり返って面接を行っている企業がいまだにありますが、人間を格付けして、昇給可否や採用可否を伝えること、つまり「査定」を続けることで生まれるものは「不安」です。「不安」を醸成して、組織に所属「させてあげる」ことで得られる安心感を引き換えに提示することで、社員を抱え込む。マッチポンプです。

繰り返し「査定」され、自分の社会的能力について不安を抱く人たちは、たしかに上司からすれば使いやすい部下であるかも知れない。経営者からすればいくらでも労働条件を切り下げられる「安い労働力」であるかも知れない。けれども、そうやって「査定される不安」のうちに置き続けてきたことで、組織の「勢い」そのものが枯死しつつあるという事実に、もうすこし自覚的になってもよいのではないかと思います。

話が大きくなってしまいましたが、会社や組織から評価を受けようと思ったら「希少性」を高めること。ただし、その「希少性」は市場の需給関係において生まれるもので、それによって自身の価値を担保してはいけない、というお話でした。


それでは、アディオス!!


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