意志は目的から生み出される

今日も高校生たちとてつがくカフェ。

テーマは「目標」。

高校3年生ということもあって、それぞれが進路に悩んでいる様子。「自分の目標を見失いがち」「目標に向かって邁進したい」「目標と手段をごっちゃにしやすい」。自らが進んでいく方向に、どうやって進めばいいのか。悩みの中心はそこにある気がしている。

そこで、まずは「目的」と「目標」の違いについて、私見を紹介した。

目的は「目指すべき的(まと)」。方向性を示すものだ。対して目標は「目指すべき標(しるし)」。どれぐらい行けばよいのかの「目安」になると個人的には考えている。

目的は大まかで、漠然としたものであってもよく、自分が進みたい方向を見つけられればいい。目標は、その目的までの「具体的」な「標(しるし)」であって、目的達成までの道しるべとして、立てていくものだと思っている。

「痩せたい」が目的だとして、「どのくらいの期間で、どれぐらいを痩せるか」が目標になる。

もう一つは「方法の原理」を紹介した。西條剛央先生が提唱する「構造構成主義」の中の中心的原理で「目的」と「状況」が決まれば「方法」が決まる、ということである。この中に含まれているのは「方法(手段)」はあくまでも「(目的を達成するための)方法」であるという前提で、手段を目的化するような形骸化を防いでくれる。

この二つの話をするだけで、高校生たちはなんだかすっきりしたよう(おそらく)。人間の思考は、たやすく混線しやすいことも実感した。

さて、前置きはこの程度。今度は私が潜っていく番である。

「目的」はなぜ必要か?

◇消費者から生産者へ
一つの気付きがあったのは、「目的」を持てば「消費者」で終わることなくなんらかの「生産者」になれるということ。生産者というよりは「生存者」かもしれない。

ただ、漠然と来るものに対処しているだけでなく、自分が自覚的に行動を起こせる。自主性を持てる。

ただ、ご飯を食べ、くそをひねり、寝て、という毎日ではなく。日常に追われるのではなく。

「人生の中で達成したい目的」をもつことで、すべての行為に「意味」を見出せる。そして、「意味」を見出せたなら、「意志」が出てくる。その「意志」一つ一つの流れは「物語」になる。

人は、「物語」がなければ生きていけない。物語をなくせば、逆に言えば「死んだように生きる」ことになってしまう。

◇「目的」と「意志」
なるほど。「目的」を持てなければ「意志」はあり得ず。「意志」なきところに「物語」もなく。「物語」なきところに「生命」は宿らず。

だからこそ、「目的」が出発点になるのだろう。

「意志」は生き方であり、「意志」は湧き出るエネルギーである。「生命」の源でもあり、機械論的な世界観から、さらに豊かな目的論的世界観につなげる懸け橋となる。

高校生たちの、これからの「物語」はどんな「意志」をもとに編まれていくだろう。

私の「物語」はこれからどうやって紡いでいこう。

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