正しいよりも、優しい
エッセンシャルマネジメントスクールに通って、残すところあと二回までたどり着いた。
毎回の話が数週間の時を経て気付きをくれる。
今日は大久保寛司さんの「理解されたときに人は変われる」について。
エッセンシャルマネジメントスクールに通うことで、自己変容が起こっている人が多い。これだけ書くと噂に聞く自己啓発セミナーや新興宗教と似たようなもの感じられるかもしれない。
しかし、誰も無理強いはしない。信じることも、やることも、誰かに強制されているわけではない。習ったことを使って自発的に行動した結果、ふっと変わっている人たちが多いように感じている。
参加者は、そうそうたるメンバーばかりだ。すでに一株のなにかを作り上げている人たちばかりである。もはややり方も、生き方も、誰よりもしっかりとしているような人たちだ。
なぜだろうか。
理解されるからである。
今日は、対話のなかで「臭い」の話と「擬態」の話をしてみた。あんまり感じない人からすると、たぶん「嫌味」に聞こえる話かもしれない。
感覚的なこの話は、多くの人に理解されにくい。
周りに理解されなくても突き進むには、強い信念をもたないと辛い。理解されないことを進んでいくのは、本当に大変だ。
「大成するためには逆風をいけ」
わからなくはない。でも、いま感じてるのは成功したいとかではなく、「こうありたい」というささやかな願いだ。
エッセンシャルマネジメントスクールは、肯定が「当たり前」になりつつある。そして、それぞれの人がすっと、誰かを助けることができる。ここにいない誰かのことを、考えて思いやれる。
みんな、「優しい」のだ。
ステマみたいな文章になってきてしまった(笑)ただ、正直な気持ちを書いている。
僕は、人を変えようというときに「正しい方法」を教えることで行動が変わると考えていた。目的と状況を伝えれば、方法は変わるよね、という方法の原理に基づけば、当然でもある(勘違いだったが!)。
人は、自分の関心を知ってもらいたいという関心がまずある。知ってもらえると、関心を満たすための行動に移りやすい。目的と状況を伝えて、方法を教える前に、相手の関心を知ることが大事。
そして、逆を言えば自分の関心を理解してもらえる集団に属することも、とても大事。
人を憂うことに秀でるのを優秀と書く、というのも寛司さんの言葉だったか。
正しいよりも、優しい。
そんな風に生きたいよね。
以下オマケ
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