人が変容するとき、そこには尊敬がある

人が変容するとき、その人はどこかで「こんな人になりたい」という像を持っている。

久々にEMSメンバーと対話をした。顔を見るだけでほっとする、というのは本当に稀有な場だなぁと実感する。

その中で「こんな人になってみたい」という人がEMSにはいた、というお話が出た。私も、そう思う。

全般的にその人になりたい、というわけではないけど、「すごいなぁ」「かっこいいなぁ」という人が、たくさんいたのだ。経歴が面白い人、考え方が面白い人、専門的知識が素晴らしい人、人としてのあり方が素敵な人。全員、そうだといっても過言ではなかった。

そんな人たちが、肯定ファーストで、みんな自分の話を聞いてくれるのである。自己効力感も自己肯定感も爆上がりだ。

自己変容を起こした人も、たくさんいた。論理や原則ももちろん使いながら、そのときに、実はみんな「誰かのモデル」の力を借りてた気がする。

話がすこしそれるが、EMSの対話は「ミルフィーユ」と「分身の術」が起こりやすい。自分の考えに他者の考えが重なり、つながりあい、重層的に厚みをましていく。

また、「考え方が違う自分が何人にもなる」感覚もある。

そのときにも、「尊敬」が根底にあるのに気づいた。誰から構わず、とりあえず対話すれば生まれるというのでも、ないのだ。

相手の話に尊敬をもつ。それを受け入れるとき、人は常に変容する存在になっているだろう。

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