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この世界の感じ方って、こう?

私の学生人生を振り返ると、中学生から大学4年まで、それはもう、多忙以外の言葉が当てはまらないような生活だった。
とはいえ自分で選んだ道を全て経験できたことはひとつも後悔のない過去だと言えるのだけど、そんな忙しい日々の中で1つ、私が失くしていた大切なことの存在に、大学を卒業して早々ニート状態になった期間で気がついたのだった。

2020年4月、突然、人生の夏休みが訪れる。
怒涛の卒業制作が終わり、卒業旅行を満喫し、そして待ちに待った卒展と卒業式が…なくなった。
何事もなかったかのように大学生活が終わり、よく分からんウイルスのせいでバイトも展示イベントもなくなった。
そして突然爆誕したニートは実家に引きこもりのんびりとハンドメイドとかをする日々を送ることになった。これまで経験したことの無いような穏やかな日々。

そんな中、ある晴れた日に犬の散歩をしているとき、なんとなく空を見上げて流れる雲をぼーっと眺めてみた。形を変えていく雲を眺めていると、美しい白い三日月が現れる。鳥がいっせいに飛んでいく。子供たちが笑っている声がする。きょうは風がぬるくて気持ちいいな。なんか、幸せだなー…

あれ、なんだろうこの満たされた気持ちは。
それも、ただのいつもの日常を眺めていただけなのに。なんだか涙が出そうなぐらい、しあわせだ。
退屈そうにこっちを見つめる犬が、道ゆく人々が、目に映る全てが、いつもより愛おしく感じた。

こんなことは初めてだった。忙しかったこれまでの日々では立ち止まって空を見上げたりなんてしてこなかった。
頭の中は常にあれやらなきゃ、これしなきゃ、あれ何日までだ、あれ嫌だな、そんな目の前のことで埋め尽くされ、まっさらな頭でただ"感じるだけの心"を失っていたのだ。

五感を研ぎ澄ませて気分を"感じる"こと。
本当は、別に何も成し遂げなくても、成功しなくても、手に入れなくても、物質的なものがなくても、私たちは満たされることができるのだ。
ただそこに普遍的にある日常のひとつひとつを少しだけ丁寧になぞってみること。
忙しい日々では空なんて見上げず、ご飯を食べながらも明日のことを考えていたりするだろう。

空が綺麗だな。ご飯が美味しいな。犬がふわふわだな。お風呂気持ちいいな。
当たり前に思えることのようだが、現代でこれをきちんと感じられている人は少ないのではないか。

突然のんびりとしたニート生活のお陰で気がつくことがてきたこと。
それは、"気分を感じる心"
気分の感度が上がると気分が良い時間が増え、ありふれたしあわせに気づく力がつく。

最近になって、私はようやく忙しさを取り戻してきた。またあれやらなきゃ!これもしなきゃ!の日々が帰ってきた。でもそれを忘れないように心がけている。
私はこれからどんなに忙しくなっても感度を失わないように、空をゆっくり眺める時間、美味しいご飯を味わいながら噛み締める時間は絶対につくると決めた。

"忙しい"という漢字を心を亡くすと書こうと決めた人、本当にすごい。

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