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みんなのヒーローにはなれないアンパンマン

こんにちは、就活中のいまず豪太です。
突然ですが、僕の高校時代のニックネームはアンパンマンでした。
まぁ、基本は苗字や名前で呼ばれていたのですが、いじられる場面ではアンパンマンと呼ばれていました。
理由は幾つかあります。
まずアンパンが好きだった事と、顔が丸い事。
今は体も顔もまん丸だが、あの頃は顔だけが丸かった。
無類の甘いもの好きで、購買で好んでアンパンを買って食べていたのを見て誰かが「アンパンマンがアンパンを食べている」と言い、それが大うけしたのがきっかけだと記憶している。
休み時間に教室にいなかった事も理由のひとつになった。
高校生時代の僕は人脈モンスターでした。一学年15クラス、全校生徒2000人を超えるマンモス校で、各クラスに友達がいた。先輩や後輩とも親しくしていたので、休み時間は自分の教室ではなく、他の教室にいたのだ。スマートフォンも携帯電話も無い時代の連絡ツールは自分自身だった。放課後とか休日のスケジュールを埋めるために広い校舎を走り回っていたのだ。
学校祭や体育祭のリーダーもしていたので、それらのイベントが近づくと他の教室の生徒と打ち合わせをしないといけない。それをクラスメイトはパトロールと呼んでいたのだ。
頭に大きな傷があったのもアンパンマンと呼ばれる所以となった。
ボクの頭には傷がある|いまず豪太 (note.com)

アンパンマンと呼ばれ続ける事によって無意識にそうなったのか、そもそもの性格なのかは定かではないが、高校を卒業したいまず青年には正義感が育っていた。暴力に対する怖さは無く、そこに自己犠牲が加わっていた。
そう、まるで自身の顔を犠牲にしてまで悪と戦うアンパンマンみたいに……

恐いものなど存在しなかった。マントを広げ空を飛ぶ事だってできた。

オヤジ狩りの餌食になっているオヤジを助けて、代わりに自分が殴られるという事が何度かあった。

騒動の気配を感じ、喧嘩の仲裁に入っていた事もあった。

就寝中に外から女性の悲鳴が聞こえ、家を飛び出し助けに行った事もある。その女性は帰宅中に暴漢に襲われたと話していた。車に連れ込まれそうになり大声をあげたら姿を消したそうだ。僕が現れた時、暴漢が戻って来たと勘違いし震えながら再び大声を発した。気が付けば僕が傘や棒を持った者達に囲まれたいた。警察の到着が遅ければ、僕はボコボコにされていたかも知れない。
これはほんの一部のエピソードに過ぎない。
しかも遠い昔のエピソードだ。

今の僕はあの頃の僕とは違う。
あの頃と違って恐怖感もある。
どうやら、いまず青年の中で育っていた正義感は、世間を知り痛みを覚える過程でしぼんでいったようだ。
鬱病を発症して以来、元気100倍になる事は無くなった。
マントはぼろぼろに破れ、飛べなくなってしまった。

僕はみんなのヒーローにはなれなかった。

だけど正義感は消える事は無いと信じている。
僕の正義感は大切な者を守る為、胸の奥で燃え続けている。

バイバイキーン


こんな僕ですがサポートをして頂けると嬉しいです。想像を形にするために、より多くの方に僕の名前・創作力・作品を知って欲しいです。 宜しくお願いいたします。