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人気のない「転勤」について
「君、転勤の候補なんだけれども、希望の地方とかある?」
と聞かれたので、
「東京と京都は住んだことがあるので、それ以外がいいです」
と答えた。
結果、北陸へ転勤することになった。
初めての北陸。希望通り。やったね。
いま、若い人の間では「転勤」は人気がないらしい。
「配属ガチャ」「転勤ガチャ」という言葉もあるくらいで、その「ガチャ」の結果次第では、会社を辞める場合もあるとかないとか。
でも、僕は転勤がわりと好きで、今の会社を選んだ理由のかなりの部分を、海外も含めて「色んな場所に行けるから」というのが占めています。
それとは別に、実は、
「そろそろ一東京を離れる頃合いかな。いや、離れなきゃな」
とも思っていた。
そう思ったのは、今年の正月に地元に帰ったときのこと。
地元の友人や親との会話の中で、なにかの拍子に「SDGs」という言葉を使ったところ、間髪いれず、「エスディージーズってなんや?」と返ってきた。
同様に、「ポリコレ」とか「LGBTQ」とか「ルッキズム」なんて言葉もほとんど縁がない様子。
Twitterでは毎日のように飛び交っているこれらの単語も、あるいは、私が仕事で毎日のように職場でやいのやいのと議論しているこれらの言葉も、うちの地元では、まったく日常の言葉ではないし、Twitter だって誰もやっていないのだ。
(ちなみに、うちの地元で最も関心の高い政治的な話題は「高速道路の延伸」だ。亡くなった父が、いまの私ぐらいの年齢の頃からずっと、「県全域に高速道路を!」を悲願としており、それは今も変わらない。いい年のオジサンになった私の同級生もやはり、高速道路を強く望んでいる)
東京での生活が5年を超え、自分自身が “東京感覚” になってるのではないか、と感じることが最近多くなっていた。
ひとつところにいて、同じ人と関わり、同じメディアを見続けていると、使う言葉が固まってゆく。使う言葉はそのまま、思考を固定化させるし、それがそのまま世界を見るメガネになる。
「これは、あぶないな」
と思った。
+
北陸に引っ越して3日目の日曜日。
早朝から立ち寄った喫茶店の壁に、世界の山々のピンバッジが刺さっていた。
キリマンジャロ、モンブラン、デナリ・・・。
見とれていた僕に、コーヒーを持ってやってきた女性が声をかける。
「ぜんぶ、私が登った山なんですよ」
70前後とおぼしき女性が、震える手で小さくカタカタと音を鳴らしながらコーヒーカップを置く。
彼女のどこに、そんな力が秘められているのだろうか・・・と不思議に思いながら、珈琲を一口飲む。驚くほどにうまい。
女性の饒舌は止まらない。
「もうすこし若い頃は、バイクにも乗りました。この近くに白山という山があるのですが、その山をぐるっと一周まわるコースは最高ですよ。」
“霊峰”とも呼ばれる白山は、この地域に暮らす人々にとって特別な山だという。豊かな恵みをもたらし、災害から守ってくれる。と信じられている。
そう、わりと本気で信じられているのだ。
すこし住む場所を変えるだけで、まったく意外なモノを信じ、まったく異なるリズムで生きている人々がいる。そうしたリズムに身を委ね、流されるのはどこか心地よく、僕は好きだ。
新天地・北陸での生活が楽しみでならない。
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