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"もやもや"は変化・変容のしるし

もやもやが続くとき、
悩みが尽きないときは、変化・変容のタイミングらしい。
「変化・変容」は孵化蛹化羽化する、蝶🦋の代名詞でもある。

ここ2、3年ず~っともやもやしていたのは事実。
「働くこと」「仕事」についてだ。

コロナ禍ということも背中を押したのは間違いない。
働きかたがいろいろと目の前に現れた。
元々あったはずなのに興味がなかったから見えてもいなかった、
フリーランスや起業、副業、そして在宅ワーク、リモートワーク・・・
コロナ禍では100%在宅という時もあり、時間の使い方についてはとても気付きが多かったと思う。
普段通りに起きたって、ゆっくりご飯を食べた後に洗濯機を回し、その間にちょっと近所を散歩する。帰ってきたら洗濯物を干してから仕事に取り掛かる準備をする。
普段は通勤時間でできないことが、これほどゆったりとした時間の流れの中で済ませられることに、私はうっとりしたのを覚えている。
誰もが与えられている1日24時間。
そのうちの少なくとも1/3は、その「仕事」に拘束されているのだから、このゆったりとした時間感覚を、在宅ワークを通して経験した人も多いのではないだろうか。

私は、「仕事」って何なんだろうと、ここへきて疑問になってしまった。
いや、ここに来たからなのかもしれない。

辞書で調べると、『生計を立てる手段として従事する事柄。職業。』とある。確かに、お金をいただく、という意味ではそうなんだよな、と思う。
私の場合、通勤時間や残業時間を含めたら、1/2~2/3が「仕事」にかかわる時間になっていたことから、それほどの時間を使っている「仕事」って、もはや「生きる」と同義なんじゃないの?と考え方の変化が起こった。
「生きてる」その時間が、今のその「仕事」でいいのか??
そんな考えがいつしか芽生え始めたのだ。

「生きる」ために「働く」のはどうしてか。

好きな洋服を着たり、おいしいご飯を食べに行ったり、たまにはちょっと遠出して旅行だって行きたい。
「好き」なことをするためにはお金がかかる。
だから私たちは「働く」、「生きる」のだ。
なのに、「好き」なことをするための時間の方が、「好き」にかける時間より少ないのって何か違う気がする。
「好き」なことをしたいからこそ、私は「好き」で溢れた生活を「生きたい」のだ。

「仕事」が嫌いだったわけではない。どちらかといえば、前向きに頑張ってきたと思うし、業務にかかわるスキルを習得するのも愉しかった。
私はその「仕事」の時間だって「好き」で溢れさせたいのに、いつしか「働く/生きる」方から「好き」を取っ払われてしまったんだと気付いた。
好きなこと、愉しいことして働きたい、20代半ばまではそう感じて、「好き」を求めて働いていた。
なのにいつからか、”これからはパソコンスキルが必要だ”、そう思って働き始めると、スキルを身に付けることを重要視したり、そのスキル自体が自分自身や人からの評価点にもなっていた。
結果、私のアピールポイントは「好きなこと」ではなく、「身についたスキル」になってしまった。職を変えようと思っても、自分をアピールできるのは「好きなこと≠身についたスキル」でしかないという高い壁になってしまい、行き場を失った感覚が生まれた。

もちろん、「好きなこと=身についたスキル」な人だっていると思う。
パッと浮かんだのはムツゴロウさんだ。「好き」で溢れる中で「生きて」いたんじゃないかと思う。「好き」が結果的に「仕事」になったのかな、と想像する。

蝶になれるのかは不明だ。
だけど、一度きりの人生だからこそ、「生きたい」ように生きる。
今はまだ蛹の段階で、
あの殻の中で、どろどろになって新たに生まれ変わる準備中だ。
きれいに飛び立てると、今は信じるだけだ。

#変化・変容
#働くってなに

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