一杯のかけそばとワンマイル歩く話
アシュタールさん、ご質問を頂きました。
「あなたはとても優等生です。私からのギフトをもれなく受け取って自分のものにしていますね。それはとても素晴らしいことですね。
私のようにジョークの腕も上がるといいですね。冗談です。
さて、私はあなたからとても面白い冗談を聞きました。「誰かに1マイル一緒に歩いてと言われたら、疲れていても3マイル歩く」というものです。
これはジョークですか?!とても面白いです。
あなたが疲れていて、歩きたくなかったら断ってください。なぜ歩かなければならないのですか?とても不思議です。
あなたに1マイルを歩いて欲しいと頼んだ人は、あなたが嫌なのにOKしてしまうと、頼みにくくなってしまうでしょう?
嫌なことは断りましょう。そうしたら彼(彼女)は、また別の誰かに1マイル歩いてもらえないか?と頼むことでしょう。とてもシンプルです。
しかも1マイル歩いて、と頼まれているのに3マイルも歩くだなんて、とてもナンセンスです。
カレーライスをご馳走して?と言ってきた友人に、カレーライスを3杯ふるまうのは、ナンセンスなことでしょう?お互いを不幸にします。」
あの…1杯のかけそばの話はどう思います?貧しそうな親子が1杯のかけそばを注文して、事情を察した店主が1.5人前の蕎麦を出したっていう美談なんですけど…
「それはいいと思います。そこにはテレパシーが存在していました。店主が母親のもっと食べさせてあげたい、という念を感じ取ったからプレゼントしたんでしょう。そして店主にとってはそれは嫌なことではありませんでした。店主は0.5人前の蕎麦をこっそりプレゼントして、きっと幸せな気持ちになりました。親子も幸せな気持ちになったでしょう。これはお互いを幸福にします。」
そか…。わかりやすい解説をありがとうございます。さて、質問に戻りましょう。断っていい、断ったほうがいい、ことはわかりました。次の点はいかがですか?
「あなたが愛をこめて伝えたのにも関わらず、相手が悲しんだり、傷ついたりするのは、その方の問題です。
あなたが愛とともに伝えた、という確信があるのであれば、あなたが気にやむ必要はありません。その方の課題ですから。
そして彼(彼女)にとって’’困るようなこと’’が起こるのも、悪くないことですよ。本来の意味で’’困るようなこと’’など何もないのです。
例えば’’失明’’のような大きな悲劇が起こったとき、あなた方は’’困ること’’にフォーカスしがちです。しかし少しフォーカスを変えることで、そのような悲劇は大きなギフトにも変換することができるんです。
優等生ちゃん、私の言っている意味がわかりますよね?」
だ、そうです。
追加のご質問などあればコメント欄へどうぞー。
それにしても、こんなにはっきりとキリスト教の教えを否定しちゃったら、教徒の方々は嫌な気持ちになるんじゃないかなぁ?
「私は愛とともに伝えています。もし彼らがなにかネガティブな感情を感じたとしても、それは彼らの問題(課題)ですから、気にする必要はないのですよ。
他人の感情を察するあまりに、言うべきことを言わない、彼らの利益になること(だと私は思っています)を伝えない、というのは愛の行為ではないと私は考えています。」
だ、そうです。
直接通話でアシュタールさんとお話してみたい方がいたら通訳いたします。電話番号と希望の日時をいくつか(第三希望くらいまで)書いて4980円/30分のサポートしてください。折り返し返信後ご希望の日時に教えていただいたお電話番号にお電話させていただきます。悩み事相談から雑談まで。