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思考のプロセスは意思決定の根拠

 所長が若手所員に
「1か月前に頼んだ図面チェックできたか?」と確認する。
 所員は
「出来ていません。」とただ答える。

 いやいやその答えが、こちらは一番しんどいのです。

 通り芯と符合のチェックは終わっているとか
 どこから手を付ければいいかわからないとか
 少しでも手をつけたところはあるでしょと思うのです。

 この場合、
 図面チェックの仕方わからないか
 他の業務が忙しくて手を付けられなかったか
 または手を付けたけれども、最後まで出来てなくて中途半端だったからか、

 その理由はいろいろあると考えられますが、思考のプロセスさえ教えてくれれば、次の方向性ややるべきことのヒントを教えてあげられるのにと思うのです。思考のプロセスは意思決定の根拠であり、アウトプットした成果物の説明となるのです。

 その業務に対する思考のプロセスや自分の意思決定を表現することを、放棄されてしまえば会話は成り立ちません。前に進めようとする意欲や表現さえも放棄してしまう。最近は、年を追うことに加速しているように感じます。

意思決定の放棄は「個人の問題」なのか?

 建設現場はゼネコンが請け負いますが、すべての工事を職人を抱えて内製化しているわけではありません。実際は工種ごとに細分化され分業化、外部委託されています。我々、現場監督はその細分化された全ての業者をコントロールし、ゼネコンの責任のもと建築しています。

 昨今においては監督のやるべき業務である墨出しは墨出し屋さん、図面作成は図面屋さん、図面チェックや修正は派遣の図面チェックマンやCADオペさんに、アウトソーシングされています。若手所員たちは現場の納まりを図面チェックによって頭に入れるべきなのですが、そのインプットする機会を、アウトソーシング化によって奪われてしまっているのです。必要な図面が頭に入っていない状態で、現場を見ていることになってしまっているのです。現場で起きている問題点に気づかず、職人がなすことをなぞり、ただ見ているだけの状況に陥ってしまうのです。

 そして現場で問題が起きれば、職人の責任とし、墨出しの間違いは墨出し屋さん、図面の間違いは図面屋さんとしてしまう。そもそも現場監督が指摘し、間違いが起きないよう努めるべきです。ですが、現場で失敗した時の言い訳は、現場監督が確認を怠ったではなく、誤りを犯した専門業者となってしまうのです。現場監督主体で管理をすることを、放棄しまっている状態となっているのです。

意思決定放棄からの脱却

 自分で考えるのが怖い。自分で答えを出すのが怖い。もしくは、何もわかってなくて、勝手に根拠なき答えを出す若手所員もいます。
 アウトソーシングによって分業化され誰かがやってくれている状況に、慣れてくると自分で考えて、答えを出すことが怖くなってきます。

 現場監督しかできないことは施工図チェックです。現場が大きく感じ、不安になった時は施工図をチェックすれば、小さく感じ安心感を得ます。また、図面チェックをせずに、現場チェックは出来ないぐらいのことを思っています。現場の間違いに気づけない、職人にも指示できないのは、納まりがわからないからなのです。

 優秀な現場監督は図面チェックをして、納まりを頭にインプットし、現場をチェックし、運営します。その施工図チェックで図面を頭に入れ、問題や間違いが起きそうなところを予知しておきます。寸法や納まりが頭にインプットされていますので図面も見ずに、そそくさと現場を見て回れます。的確に指示ができます。「図面チェックなくして、優秀な現場監督はない」といっても過言ではないと思っています。

 もしも、若手所員が自分でチェックした施工図で現場をコントロールし、自身で現場を掌握したとなれば、精神の安定と幸福感を得られます。若手所員の自尊心は、自身が現場を把握し、コントロールすることに守られます。

 若手所員の意思決定放棄から脱却するには、図面チェックというインプット、そして施工図へアウトプットその一連のプロセスを経て、現場をコントロールする機会を作ってあげることが必要です。若手所員の自尊心を守ってあげるために、積極的に図面チェックの機会をつくり、共にそのプロセスを共有することが、意思決定放棄からの脱却へとつながります。所長と若手の会話はより深度のあるものになるのではないでしょうか。

「もっと意思表示が欲しい。」
それは思考のプロセスを共有し、試行錯誤のチャレンジを通して、共に思考力の鍛錬を繰り返し、現場を正解へと導いていきたいのです。所長は若手に、図面チェックできる機会を与えてあげられる仕組みや環境を考えていくことです。


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