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なぜ、人をケアする支援者がケアされていないといけないのか~書籍:ケアしケアされ、いきていく から学ぶ~

NPOの事業として高齢者、子ども、障がい者など、困難を抱えている人に対して何らかのケアをしている団体さんは多いです。「ケア」についてはなんとなくの理解はあったのですが、本質的な理解はできておりませんでした。

今回、新しく発行された竹端寛先生著の「ケアしケアされ、いきていく」を読むことで、ケアとはどういうものかについて触れることができました。そして、この理解が、NPOの事業や組織運営に大きく関わることだと感じましたので、noteでまとめました。

ケアに関わる活動をされている方は是非この本を読んでみてください。


ケアは日常の中に埋め込まれているもの

この本は以下の文から始まります。私も文章の冒頭にあるようなケアに関する思い込みがありましたが、ケアとは日常の中に埋め込まれているものであるそうです。

ケアって、一見すると「弱者のための特別な営み」のように思う人も多いでしょう。でも、実はあなたの日常がなめらかに、つつがなく廻っているのは、普段意識していない、気づかないところで、ケアがうまく埋め込まれているのです。例えば、洗濯物や洗い物が溜まっていない、きちんと皿や服が片付けられている、歯ブラシや洗剤、トイレットペーパーのストックが買いそろえられている、布団が干されていて、賞味期限が切れる前に食材がうまく使われ、冷蔵庫のストックは補充されている・・・。これらは、誰かが気にかけないと維持されない、という意味で、ケアです。

書籍「ケアしケアされ、いきていく」P9から抜粋

ケアマネージャーという言葉があるように、ケアと聞くと一般的には介護の印象が強くなるのではないでしょうか。高齢者介護、障がい者の介護といったことです。

他にも児童養護施設や里親などの社会的養護のケアから離れた子ども・若者のことをケアリーバーといいます。その場合は保護される環境としてケアという言葉が使われています。

竹端先生が本書で使っているケアは、そうした介護や保護といった支援を直接指す言葉ではなく、ケアする人・される人の関係性を示したものなのかなと感じました。

誰かが気にかけて維持している、「ケア」がされている日常は安心して過ごせるでしょうし、ケアがされていない日常はどこか不安定で脆い感じがします。

ケアの5つの種類

本書P81では、政治学者のジョアン・トロントさんを引用して、ケアの5つの種類を整理しています。

  1. 関心を向けること(Caring about)

  2. 配慮すること(Caring for)

  3. ケアを提供すること(Care giving)

  4. ケアを受け取ること(Care-receiving)

  5. 共に思いやること(Caring with):複数性、コミュニケーション、信頼と尊敬、連帯感

「弱者のための特別な営み」といった従来のケアとして言われてきたものは1~4の内容でした。

例えば障がい者の生活支援をする場合、障がいを持った方がどのような育児環境だったのか、どのような療育や教育をうけてきたのか、そうしたことに支援者は関心を持ちます。そして、それを元に配慮し支援計画を立てて、ケアを提供します。そして障がい者はそのケアを受けます。

ジョアン・トロントさんの慧眼なところは、5の共に思いやることがケアに含まれていることだと著者の竹端先生は述べられています。

共に思いやることのキーワードとして「複数性」、「コミュニケーション」、「信頼と尊敬」、「連帯感」が挙げられています。これについて考えてみましょう。

支援者が、支援対象の障がい者の育児・療育・教育などの記録を確認したりヒヤリングをして情報を得たとしても、支援対象の方の考え方や価値観はわかりません。そのため、ケアは支援者本人と支援対象の障がい者という2つの視点を持つことになります。2つの視点を持つというのは、支援者は対象者の経歴から、きっとこんなふうに思っているのだろうなと推測はできるけれども、それはあくまで本人に確認しないとわからないということです。

いくら経験豊富な支援者であったとしても、他人である支援対象者の考えや気持ちがわかるわけではないので、コミュニケーションを重ねていくことになります。いくら障がいが重かったとしても心地いい状態や、嫌な感情など、わかるものがありますので、言語や態度など含めたコミュニケーションがされていきます。

コミュニケーションを重ねて良好な関係性ができていくと、支援対象の障がい者は「この支援者には何を言っても否定されず聞いてくれるので、思ったことを全てを言える、だからこの人には何かあったらまず相談してみよう!」といった信頼と尊敬の念が出てきます。

また、支援者側も、支援対象者は障がいがあったとしても、やりたいことや夢を持っていることがわかったので、それを叶えられるようにできるかぎりのことをしようと思います。

こうした信頼と尊敬の念を相互が持つことで、連帯感が生まれるわけです。障がい者の親が亡くなった後に、その障がい者がどのよう生きていくのかといった8050問題がクローズアップされていますが、こうした支援者と当事者の連帯感なくして、その人の人生を前向きにつくっていくことは難しいのではないでしょうか。

苦しいことをいかに受けとめることができるか

ケアの5つ目である共に思いやることの重要性が述べられましたが、例えば小さい子どもであったり、障がいがあったりして、言葉によるやりとりに難しさがあるケースでは、コミュニケーションをとろうと思っても難しさが出てきます。

特に、様々な問題行動がある場合には、当事者にはなんらかの「苦しさ」があります。それをどのように受けとめることができるかでコミュニケーションの幅が変わってきます。

本書では障害者文学の研究者である荒井裕樹さんの「苦しみ」と「苦しいこと」の違いを引用して以下のように説明しています。

前者(苦しみ)は「苦しみ」の内実をある程度自分で把握しており、言語表現であれ非言語表現であれ、それを誰かに伝えたいという表現への欲求が強いように思われます。対して後者(苦しいこと)は、「苦しみ」の内実が本人にも把握しきれず、また詳細に表現することもできないけれど、何よりまず、苦しんでいる自分の存在を受け止めてもらいたいという関係性への欲求が強いように思われます。

書籍「ケアしケアされ、いきていく」P26-27から抜粋

(後者の「苦しいこと」は)自分が何で苦しんでいるかわからない、でも何だかモヤモヤするし苦しいし、それをわかってほしい、と思うとき、つまり「苦しみの言語化」ができないとき、人は「苦しいこと」を別の形で表現しようとします。(中略)以前の私は、そういう「苦しいこと」として表現されることを「問題行動」「困難事例」だと思っていました。連絡が取れなくなったり、トラブルを起こす、という表面的な出来事だけをみて、「困ったなぁ」「迷惑をかける学生だなぁ」と思っていました。でも、それが「苦しいこと」の表現であり、「苦しみ」として表現できないしんどさだ、と理解できるようになると、だいぶ受け止め方が変わってきました。

書籍「ケアしケアされ、いきていく」P27、P29から抜粋

私がNPOの伴走支援をしている際に、長いお話をお伺いした後に「それは○○でお困りだったのですね」とまとめた言葉でお伝えすると、「そうなんですよ!!一言でまとめてくれてスッキリしました!!」と言われることが何度かありました。自分でもわからないモヤモヤしている状況を、こう苦しいんだと言語化することは、ご本人の苦しさによりそうことにつながります。

共に思い合うための中核的感情欲求

ケアをする際に重要となる5つの欲求について心理療法のひとつであるスキーマ療法を参照に以下のように整理されています。(P165から抜粋)

  1. 愛してもらいたい、守ってもらいたい、理解してもらいたい。

  2. 有能な人間になりたい、いろいろなことがうまくできるようになりたい。

  3. 自分の感情や思いを自由に表現したい、自分の意思を大切にしたい。

  4. 自由にのびのびと動きたい。楽しく遊びたい。生き生きと楽しみたい。

  5. 自律性のある人間になりたい。ある程度自分をコントロールできるしっかりとした人間になりたい。

これから能力を獲得していく子どものケアであっても、能力を失っていく認知症のケアであっても、この5要素をどのように満たすかがケアの本質的な問いとなっていきます。

ケアする支援者がケアされているか

支援対象者の中核的感情欲求を満たしていくためには、さまざまなはたらきかけや、やり取りを通じて理解をしていく必要があります。以下のような問いが支援者の頭に浮かぶかもしれません。

  1. 支援対象者は自分自身に対する愛を感じているだろうか?そして、十分理解されているだろうか?

  2. 支援対象者が思う有能な人間とはどんな状態のことなのか?そこに近づくために取り組めているだろうか?

  3. 支援対象者の感情や意思を受けとめられているだろうか?

  4. 支援対象者のやりたいことができているだろうか?

  5. 支援対象者は、自律的に行動ができているだろうか?

こんなことを日々思ってくださる支援者が増えるとよりよい状況になると思いますが、実際はそうではありません。

なぜなら、ケアする支援者がまず5つの要素を満たされている必要があり、満たされている人が少ないからです。

満たされていないとこんなネガティブな感じになります。

  1. 自分が誰かから愛されていたり理解されていることを実感できないと、人を愛することや理解する気持ちにならない。

  2. 自分なんかよりもっとできる人がいる、と常に他者と比較して自己肯定感や自己有用感が低いと、他人の成長や変化を感じることができない。

  3. 自分の感情や意思を常に抑えられている人は、感情や意思を主張している他人を見ると単なるわがままと思い腹が立つ。

  4. 他人のやりたいことに合せているばかりで、自分のやりたいことができていない人は、周りの空気を読んで自重できない人を許せなくなる。

  5. 自分の仕事が常に誰かに依存していて自律的にできていない人は、自律的に振る舞う人が鼻につく。

自分の尊厳がまもられていないのに、他人の尊厳はまもれないです。

「支援対象者やその親がわがままで困ります!」と話す支援者の奥底には自分自身がケアされていないことを発端とするモヤモヤがあったりします。

ケアする中で自分自身の影と向き合い認めることができるか

冒頭ケアの5種類について述べました。

  1. 関心を向けること(Caring about)

  2. 配慮すること(Caring for)

  3. ケアを提供すること(Care giving)

  4. ケアを受け取ること(Care-receiving)

  5. 共に思いやること(Caring with):複数性、コミュニケーション、信頼と尊敬、連帯感

一般的に考えられるケアは1~4であり、それを行うことは多くの人ができます。しかし、本当に支援対象者の尊厳や権利がまもられたケアをするには共に思いやるところまで進む必要があります。

共に思いやるケアをするには、支援対象者に5つの中核的感情欲求を満たすことが重要になりますが、そこに向き合うためには支援者自身も中核的感情欲求を満たしていかなくてはいけません。

ここに向き合う作業は、自分自身の影の部分に向き合うことで、とてもしんどいことです。

支援対象者の言動にイラッとして感情的になったのは、支援対象者が原因ではなくて、自分自身が満たされていない中核的感情欲求があるからです。原因が相手ではなく自分にあり、満たされていない自分を認めることは簡単にできることではありません。

しかし、そうしたことを重ねていくことで、自分らしさに気づいて成長し、支援対象者の中核的感情欲求を満たす問いかけや考え方ができるようになるのです。こうした相互承認できる関係性が、本のタイトルにある「ケアしケアされ、生きていく」に表現された、ケア中心の社会の礎となるのです。

さいごに

本書を参考にケアの本質的な部分に触れることで、NPOの伴走支援に関して大きな学びがありました。

それは、人のケアをするNPOが抱える課題解決方法は2つに集約されるということです。

①ケアの5種類を含めた事業設計
②支援者の中核的感情欲求を満たす組織基盤

時代によって変わらない根源的な社会のニーズとして、個人の尊厳や権利がまもられたケアが受けられることがあります。まずは、それに応えるように考えることが、社会に必要とされる活動となります。

そこから外れてしまうから人も資金も機会も訪れないのです。


私はNPOの伴走支援をしています。今回のnoteを読んで事業設計や組織基盤強化に関する伴走支援に関心を持った方は公式LINEやホームページからお問い合わせください。


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