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野菜づくりのハイライトは、収穫して食べることではなかった

畑をはじめて4ヵ月と少しが経った。季節は、土も苗も干からびそうだった残暑から、天高い秋を過ぎ、霜が降りそうな冬へと移行した。

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収穫まっさかりの頃の大根畑

いまは収穫のピークを過ぎて、すっかりペースダウンした野菜たちの成長を見守りながら、細々と手入れ程度の収穫をしている。つまり、はじめて「収穫期」を経たことになるのだけど、そこで気づいたのは、私にとって野菜作りのハイライトは、収穫して食べることではなかった、ということだった。

最初は、あえて考えないほどごく当たり前に、畑を借りるのは、自分で作った安全で美味しくて新鮮な野菜をとって食べることと考えていた、と思う。もちろん、その過程で、土に触れることや、自然の摂理を学ぶこと、自然との共生を体感すること、そういう諸々も含まれていはいたけれど。

では、そのゴールだと思っていた初めての収穫期を経ていま、自分にとってのハイライトは何なのかと振り返ってみると。それは、育てる過程そのものだった、という気がしている。

最後に食べようが、食べなかろうが、あんなに小さな種が、苗が、激しい雨風や灼熱にさらされながら、ときにはひょろひょろの姿になりながら、生命の力を輝かせてぐんぐんと成長し、それぞれがそれぞれの野菜の姿になっていく、その過程に寄り添っただけで、もう「お腹がいっぱい」という気分になるのだ。

育ってくれればもう十分。だからついつい、収穫せずにそのままにしてしまったりもするのだけど。それはそれで申し訳ない気持ちにもなるので、ちゃんと美味しくいただきます。でもそれは、映画のエンドロールを眺めているときのような気持ち。ハイライトではなかったのです。

結果だけでなく、プロセスに価値がある。それは最近、いろんなことに対して思っています。


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