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言葉のプロの教えには、俳句の極意が詰まっていた

岸田奈美さんのnoteは、ひとたび開封してしまうと止まらなくなる。その夜もごそごそ読み漁っていると、「突撃!岸田の文ごはん」に行き着いた。天才ライターの岸田奈美さんが、さらに言葉を学びに達人たちを突撃するというRPG的企画。その中で、達人たちから授けられる極意が、驚くほど俳句のそれと重なっていて、思わず書き記しておきたいと思った。

そもそも、なぜそれが驚きなのかというと、俳句は韻文(一定の韻律をもち、形式の整った文章)であって、散文(韻律や定型にとらわれない通常の文章)ではないから。これをちゃんと区別する大切さは、プレバトの夏井いつき先生も、繰り返し仰っている。だから、2つはどちらも言語表現なのだけど、明確に区切られた別々の世界なのだ。と思っていた。

けれど、たとえばこの回一つとっても、書かれているほぼすべてのことが、俳句に当てはまる。当てはまるどころか、俳句で重要なことランキングの上位に来るものばかりである。

その壱)言葉ダイエット

まず文章の基本スキルは、「ムダを削ぎ落として読みやすくする」言葉ダイエットだという。

言うまでもなく、俳句はたった17音しかなく、ムダな言葉を使っている余裕がない。夏井先生も、いつも赤線で消し去っている。

小学校の国語の授業で、「○○赤い彼岸花」(どんな俳句だったかは忘れてしまった)を例に、「彼岸花」だから「赤い」は要らない、という説明を聞いて、「俳句、かっこいい!」と感動したことを今でも覚えている。(ちなみに白い彼岸花もあるので、赤が本当に不要なのか、今となっては少し疑問もある。)

いずれにしても、言葉ダイエットは、俳句においても基本、というより宿命なのだ。

そして、「ムダをなくしたら、あなたらしさを加えられる」も同じ。ムダを削った(夏井先生は、節約した、と言う)1音、2音にどうオリジナリティを加えるか、が勝負と言える。

その弐)映像が浮かぶよう、描写する

記事の中では、こう書かれている。

『おいしそうなハンバーガー』っていうのは説明です。これを描写すると「美しい赤身とあふれる肉汁のハンバーガー」になります。

俳句でも、まったく同じことが言われる。これはあらゆる人が言われていることだが、私の師である大輪靖宏先生も、著書にこう書かれている。

俳句は説明を避けることが大切だ。説明をしないで読者の心に伝えたい事柄が湧くようにしなければならない。(「俳句という無限空間」p207)

なるべく形容詞は避け、名詞を用いる、という言い方もされる。「おいしい」は形容詞で、「赤身」「肉汁」は名詞である。

その参)「発見」がある

最後に、橋口氏は「『発見がある文章』にすること」と言っている。日常にある、ただの事実でも、ハッとすることを見つけるのだと。そして自身が2018年に書いた全日空のコピー「人間だけが、時速900キロで熟睡できる。」を例に挙げている。

過去にインタビューをした俳人、仲栄司さんは、俳句で最も大切なのは「着眼」だと言っていた。着眼、つまり、何に感じ着目するか。「発見」と言い換えることもできそうだ。

俳句に「発見」があるか。これは、適切な引用はないけれど、多くの人が俳句の大切な要素だと言っていて、異論は少ないと思う。


もしかして橋口さんは俳人なのかしら?と思うほど、一つ一つが俳句の的を射抜いていた。コピーライティングは、短い言葉で何かを表現するものだから、韻文的で、その極意が俳句と重なるのは自然なことなのかもしれない。そして夏目漱石も、小説を書くために俳句を作っていたそうだから、散文と韻文の世界は思っていたほどに離れたものではないのかもしれない。

ちなみに、「突撃!岸田の文ごはん」の別の回でも、「これ、俳句だ!」と声を上げそうになった。

韻文と散文。この2つの世界を行き来しながら、奥深い言葉の世界と向き合っていこう。そう思ったのでした。

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