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チームに「誇り」を

さて、僕は今某大学の医学チームに所属しているわけですが、
実は優勝が決まった日の打ち上げで号泣してしまいまして、、、

今考えるとすごく恥ずかしいことをしてしまったと思いますが、
その反面、こうも思うのです

「チームの勝利に泣けるほど、自分はチームの一員としての自覚を持つことができていたのではないか?」

自身が流した涙はチームへの思いの表れではないかと

ということで、突然ですが「チームへの思い」について考えてみました

チームに対して何を思うのか?

何かしらのスポーツチーム・部活動に関わる場合、その立場は様々です

・選手
・監督、コーチ
・マネージャー
・トレーナー   etc...

僕はその中でも「トレーナー」という立ち位置を選んだわけですが、その立場によってはチームに対する思いというものも大きく変わってくるものです

例えば選手であれば「自身が活躍してチームに貢献したい」と思うこともあるでしょうし、監督などであれば「チームを勝たせたい・優勝させたい」と思うことが多いでしょう

また、トレーナーとしての僕は「チームの勝ちに貢献したい」という思いで活動しています

このように立場によって気持ちというのも大きく変わってきます
ただ、スタッフという立場は非常に気持ちの持ちようが難しい立場なのではないかと思うのです

なぜなら自分自身が勝敗に影響を与えている感覚が乏しくなりかねないから

自分自身、モチベーションをいかに保つか、というのはとても難しいものであると感じています
自分自身が頑張ってもチームのパフォーマンスが上がらないとき、どのようにモチベーションを保つか、ということを考えたときもあります

でも、その中で自分が活動を続けられたのは
「チームに対して誇りを感じることができていた」
からではないかと思うのです

「誇り」を持つことの意味

言葉にするとチームへの帰属意識、とでもなるのでしょうか
人によって言葉は変わってくるとは思いますが、僕はこの感覚をチームへの
「誇り」としてとらえています

どれだけチームの一員としての感覚を持つことができるか

それは単純にチームに貢献しているかどうかではなく、チームの結果に対して一喜一憂することができるかどうか、ということなのでは、と思います

スタッフである以上、私情を挟みすぎるのもよくないのかもしれませんが、僕はその感覚を忘れないように活動を続けています

選手は結構こういった感覚に敏感で、スタッフの気持ちに迷いがあったり、チームとの距離があったりすると、かなりの確率でそれを感じ取ります

そういったチームへの一体感も言える感覚を持っていなかったら、
チームの優勝で涙を流すこともなかっただろうし、
何よりチームからの信頼を得ることはできなかったのではないでしょうか


もちろん、人によって考え方は様々ですし、僕のような関わり方はあまり勧められるような関わり方ではないかもしれません

それでも、僕としては
「そのチームを思って泣けるか、それくらいまでにチームを思っているか」
ということを大事にしていきたいと考えています

皆さんはどう考えますか?

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