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新たな取り組みのはじまり〜終わりがあれば始まりがある〜

突発性難聴のリハビリ目的も兼ねて始めた一眼レフカメラ生活も、今年の6月をもって一年がくる。

あっという間の一年。

私の愛用機はNikond750 。今は生産してなくて中古でないと手に入らない機材です。

四国カメラ部に加入してというもの、カメラのイロハを学んだり。仲間と一緒に撮影会をしたり。写真展を開催したり。

ひとりだったら出来なかったであろう事が、実現して現実になって。私自身驚かされてばかりですが!

本当にありがたい話が舞い込んできて、嬉しい限りです。


とある観光協会さまとタイアップした取り組みも今年は勢力的に活動していく事になって。


私個人の活動としては、お店さまへの写真提供が終わって。次は成人式の写真を撮ってもらいたいとの話がきて、『ハレの日』の写真撮影をさせて頂く事になった。


わたしはプロのカメラマンではないし、カメラの知識もほとんどなく勘で撮っている事が多いが、他の人たちが撮っているような構図や色合いは撮りたくない。と、

素人ながらに思ってしまった。

私には私の良さがある。


私らしさを忘れてしまった写真なんて撮りたくない。というのが本音で、生意気だけどインスタ映えとか沢山futureされてフォロワーが沢山できたところで、実際には自分の写真なんて何も評価されてないのだ。


futureする側からすると写真が下手、上手いは関係なしにセレクトしているとの事。上手い写真ばかりセレクトすると下手な人たちが写真を撮ってくれなくなるから上手い下手は関係なしにfutureを与えていると言うことを知って、迂闊に喜んではいけないなと我ながらに思った。


写真は印刷してこそ実力がわかる。


A 3用紙などに引き伸ばされた自分の写真を観て、ピンぼけして『なんじゃコレ!』と不恰好なカッコ悪い写真を見た時ほどショックを受けたし、これが現実かと思わされた。


モニターやスマホ内では上手く撮れたつもりでも、実際に印刷してみるとピント合わせの甘さなど、キレイに映し出されるのだ。


悲しい現実を知ってこそ、自分の腕を上げていく。



写真は撮らないと上手くはならない。


ただ撮るだけでは上達しないから、構図やら色の出し方とか。プラスαを考えながら一枚いちまい丁寧に撮っていく事が大切だと私は思っている。


プロになるわけじゃないけど。

せっかく写真を撮る事をしているのであれば、少しずつ勉強していきたいと思っている。

レタッチの方法や技術的な事も今後は学んでいきたいが。

今は楽しく撮って少しずつスキルアップをしていきたい。

突発性難聴の後遺症と向き合いながら社会生活をしています。聴力障害あり。趣味のカメラと、わたしの生きたしるしを残しています♪