見出し画像

ファミコンと勉強 ― 大学へ行け! #② 【息子への手紙】

ファミコンと勉強 ― 大学へ行け! #① からの続き


私は福岡の農家の次男坊だから、大学など行けないはずだけど、「行きたい、行きたい!」と思っていたら、両親や兄や叔父が応援してくれて、田を一反売って入学金をつくってくれたりした。

家族を犠牲にしてまで、どうしてそういう道を選んだのか。勉強を好きだからではなく、何故か「世の中の役に立つ大きな人間に成りたい!」という想いが強かったからだ。
「何か大きな事がしたい。その為には多少他の人間を犠牲にする覚悟で、わがままを通さないと何も出来ない。金閣寺や銀閣寺もその残骸である」と。20歳の頃の私は、そう考えていた。

今になって思い返すと、大変迷惑な若者だったと思う。

しかし、私は間違いなく「前を見ている、上を向いている」青年だったと思う。10年後、20年後の大きな夢を追いかけていたので、今、目の前の遊びや、勉強の辛さなどなんでもないことだった。

そして、その後何度も失敗して、世の中は自分の思うようにはいかないことが判ったし、人を犠牲にしてその上に立ち上がっても何にもならないことも、人の応援なしには生きられないことも判ってきた。 
そして、苦しい受験勉強に耐えて高校、大学と進んだことは無駄ではなかったと思う。

まず第一に、逃げずに戦ったことは力になっている。

第二に、学校に行くことは、人生の旅をする為の地図を手に入れるような効果がある。自分が行きたい所に行こうとした時、その街の地図を持っているのと、いきなり現地に行ってやみくもに探し回るのとでは、大きく違う。
学校に行かず、地図も見ずに、現地に行っても、迷いながらいつかは目的地につくだろう。だが、行かなくてもいい所に行ったり、やらなくてもよい失敗を繰り返したりしなければ、目的地にはたどり着けないだろう。

第三に、未だ何がしたいか、どういう人間になるか決まっていない時期、少なくとも20歳前に仕事を選ぶのは難しい。自分の将来が見えるまで、何をしたいか決めるまでの間は、人生の地図を探しに高校や大学に行った方が自分の為になる。

20歳になるまでは親として君の面倒を見るし、口も出すつもりだ。20歳を過ぎたら君を独立させる。むろんその後も親として応援はするが、君の責任は取らない。それまでに自分の方向を決めなさい。
目先の10万円の為に10年後の100万、30年後の10億円を捨てるような愚か者にならぬように期待する。

もっと自分の将来を探しなさい。ずうっと遠くが見える人間になりなさい。人より高いところに登りなさい。そうすると人が見えてくるし、世の中が見えてくる。1年後、5年後、10年後の将来設計図が書けるようになる。

今、目の前のファミコンで戦争をして私まで巻き込まないでくれないか。なあ、太爾(たいじ)! お前の名前は「太い大きな人間になれよ」と名づけたんだよ。

(1992年 7月24日 記)


著者 今泉浩一のセミナー・サロン情報

今泉浩一の著書シリーズ