好きなことをしよう❤︎41歳無職 地獄から立ち上がり初めて県外での一人暮らしを試みる#1
まさかこんな日が来るなんてね。
今私は、無職だけど沖縄に移住を考えコンドミニアムに滞在している。
以前の私ならこんなこと考えられなかった。
30代半ばで長年付き合ってた5つ年下の彼と結婚。
そして不妊治療の末、39歳で離婚。
絶望を感じていた1年半前。
離婚がどうこうより、どんなに願っても、お金をいくら払っても授かれなかったこと、そしてもうその子供を授かるチャンスさえなくなったんだと思うことがショックだった。
夫の仕事の都合で、周りに知り合いがいない慣れない東京へ。
そこで妊活をタイミングから体外受精(顕微受精)へと切り替え、不妊治療に通っていた。
結果、1回目で妊娠。
その後流産。
それが私が妊娠に執着するきっかけになったのかなと思う。
私は、働いてお金を稼いでいる人、子供を育てているお母さんを見るたびに、自分は何も生み出せていないって感覚、自分の存在価値がわからなくなる感覚が月日を経るにつれて増していき、不妊治療が終わったと同時に離婚で自分の存在価値を見失った。
妊娠に執着した私は、いつか子供を授かることで私にも生み出せるものがあるんだって信じて、自分自身の存在価値をそこに置いていたのだ。
今思えば、自分の心を自分でぎゅって縛って、周りに知ってる人がいないんだから、あなたくらい私のことわかってよ!って旦那もしばりつけていた私は本当に未熟だったと思う。
まー、月に1日くらいまるまる私とどこかお出かけする時間くらい作ってよって思うし、離婚の最後の最後のやり方は本当に最低な男だった。
離婚する直前に彼が感情に任せて私に言った一言は私の心を潰し、このままでは心が死んでしまうと逃げるように実家に帰った私。(フォローしておくと、元夫も新しい職場での環境と私の間に挟まれていっぱいいっぱいだったのだ)
実家に帰って1ヶ月くらい、私はやたらと元気だった。
ある意味、もうあの痛い採卵や移植をしなくてすむのだ、予定を入れたければ通院の日程など気にしなくてもいい。家でほぼ一人ぼっちでいることもないのだとホッとした部分があったのかもしれない。
だけど1ヶ月後。
突然、朝起きると心が真っ暗闇にいる気分になった。
昼になると治るのだが、死にたいという気持ちが毎朝襲ってくる。
それが1ヶ月ほど経った時に、支えてくれた両親や友達のことに目が行き、生きるということに目を向けることに必死になった。
もう我慢するのは嫌だ。
好きなことやろう。
でも私の好きなことって何?
それさえ分からなかった。
私が好きなこと、私が嫌いなことなんだろう。。。。
よし!まずは今まで興味があったけどやらなかったことをやってみよう。
そう思って以前から興味があった心理学を学び始めた。
すると不思議なことに元夫に縛り付けて申し訳なかったと思う心と感謝する心が出てきたのだ。
元夫は自由奔放な人だった。そこが魅力でもあり、私を苦しめてもいた。
だけど自分が興味があったことを学び始めると私の未熟さを知ると同時に夫の気持ちが少しずつ理解できるようになってきたのだ。
自分の好きなことをやるって素晴らしい!
こうあるべき、こうしなくては。。。。が少しずつなくなっていく。
なるほど、彼は私にもっと自由になっていいんだよって、一番近くで自由奔放な姿を見せてずーーーーっと私に教えていてくれたんだな。
それなのに私は、こうあるべき、こうしなくては!とどんどんと彼を追い詰めていた。
本当にごめんね。本当にありがとう。
そう思えた。
その後も瞑想やアロマ、マネークリニックなど自分が少しでも興味のあることに挑戦した。コーチングも始めた。
そして色々チャレンジするうちに訳あって、今いるここ、沖縄へとたどり着く。
かなり長くなったので次回へ。