いつかこの現実逃避を必要としない日がくると信じて、今日もまた現実逃避をする

酒を飲めば難しいことは考えなくなる。
鬱々とした気持ちも晴れ、人とつながっているような気にもなれる。

飲んで寝て、翌朝。
いつもと同じ気持ちのままだ。
義務感のみの朝がくる。

酔っ払っている間だけ、何かを解決した気持ちでいられる。

料理は酒とともに味わうと、より一層美味しくなる。
お酒が好きだから飲む。自分の意志で好んで飲んでいる。
飲酒初心者のころは自分が飲酒する理由はそこにあると思っていた。
依存していたとしても肉体的な依存だと信じようとしてきた。

「ここでいわれる二次的な欲求というのはどういったものですか?」

『親は選べないが人生は選べる(高橋和巳/ちくま新書)』の次の部分を読んだ私はカウンセラーに質問した。

<生まれた家庭環境や人生のその時々の生活条件によって、愛着がうまく実現できないことがあります(略)。すると二次的な欲求が生まれ、心はそれに支配されて、まるで変えられない必然であるかのように心を動かします(略)。>

「お酒とかお金とか、恋愛とか、そういうものです」カウンセラーは答えた。
まったくもって私に当てはまる。

そこで酔ってるときの気持ちを自分なりに観察してみた。
酔ったときちょっとした会話を妻と交わすだけで、妻とつながれたような気持ちになってとても喜んで安心している自分がいる。

前出の高橋和巳医師は別の著書『心をはなれて、人はよみがえる カウンセリングの深遠(筑摩書房)』では次のように述べている。

<ほろ酔いでは、感覚を軽く麻痺させることで現実からはなれ、その結果、自分自身からもはなれることができる。はなれたことが、ちょっと気持ちを楽にしてくれている。自分を受け入れて自分を眺める体験と、自分を心地よく感じている体験が同時にあることが「心をはなれる」に似ている。>

「心をはなれる」という現象を味わうと、それが悩みを解決する糸口になるのだという。
それだけ聞くと、ほろ酔いも全然オッケーじゃないかとなるのだが、そうは問屋がおろさない。高橋医師は続けていう。

<でも違いもある。酔いは感覚を鈍麻させ、心の機敏さと繊細さもまた麻痺させてしまう。さらに、より深いレベルで自分自身を丸ごと認めてしまうような力強さと確信は、そこにはない。(前掲書)>

心の葛藤を解決する糸口となる心をはなれるという状態と似て非なるもの。
それが酔い。
現実逃避では現実は変えられないという厳しい現実である。

しかし私は今日も飲む。

いつか飲まないでリラックスできる日がくることを信じつつ。

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本日はこれにてご無礼いたします。
ありがとうございました!
だんだん暑くなってまいりました。
体調管理には十分気をつけられますようにー

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